山川篤

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山川 篤(やまかわ あつし、1914年(大正3年)11月3日[1] - 1997年(平成9年)5月29日[1])は、日本のフランス文学者

略歴

愛知県(現岩倉市)出身[1]東京で育ち[1]麻布中学校[1]、旧制浦和高等学校[1]、1938年東京帝国大学文学部仏文科卒[1]外務省嘱託として仏印に渡る[1]。1948年第八高等学校教授[1]、49年名古屋大学教養部助教[1]、56年文学部助教授[1]、70年教授[1]、71年「フローベール研究 作品批評史 1850~1870」で東大文学博士。78年名大定年退官[1]、名誉教授。南山大学教授[1]、83年退職。

著書

  • 『フローベール研究 作品批評史(1850-1870)』風間書房、1970
  • 『フランス・レアリスム研究 1850年を中心として』駿河台出版社、1977
  • 『「ボヴァリ夫人」語彙索引』フランス図書、1979
  • 花袋・フローベール・モーパッサン』駿河台出版社、1993
  • 『続 花袋・フローベール・モーパッサン』駿河台出版社、1995

翻訳

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 長谷川太郎『中部支部特別会員 山川篤先生を偲んで』日本フランス語フランス文学会中部支部、1998年。doi:10.24522/basllfc.22.0_3https://doi.org/10.24522/basllfc.22.0_32022年6月27日閲覧 

参考文献

  • 長谷川太郎「中部支部特別会員 山川篤先生を偲んで」『日本フランス語フランス文学会中部支部研究報告集』第22巻、日本フランス語フランス文学会中部支部、1998年、3-5頁、doi:10.24522/basllfc.22.0_3ISSN 0285-3795NAID 110009459123