山内静夫 (映画プロデューサー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。バイロン (会話 | 投稿記録) による 2022年11月20日 (日) 14:34個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

やまのうち しずお
山内静夫 (映画プロデューサー)
生年月日 (1925-06-13) 1925年6月13日
没年月日 (2021-08-15) 2021年8月15日(96歳没)
出生地 日本の旗 日本神奈川県鎌倉市
国籍 日本の旗 日本
職業 映画プロデューサー
活動期間 1948年 - 2021年
 
受賞
日本アカデミー賞
優秀作品賞
1989年利休
その他の賞
藤本賞 特別賞
1989年利休
テンプレートを表示

山内 静夫(やまのうち しずお、1925年6月13日 - 2021年8月15日)は、日本の映画プロデューサー

来歴・人物

里見弴(小説家)の四男として神奈川県鎌倉市に生まれる[1]。応召後に1948年慶應義塾大学経済学部卒業後、松竹大船撮影所に製作部として入社、小津安二郎映画の製作に当たり、1956年『早春』で製作、1958年、父原作の『彼岸花』を製作、1960年には同じく『秋日和』製作。

1966年から1967年にかけて東京放送(現:TBSテレビ)にて放映された青島幸男主演のテレビドラマ『泣いてたまるか』のプロデューサーを担当した[2]

1969年の映画『男はつらいよ』(シリーズ第1作)では、マドンナ・冬子の婚約者役でエキストラ出演をしている。

1978年、松竹取締役。1992年、鎌倉ケーブルコミュニケーションズ代表取締役社長。2004年から2012年にかけ鎌倉文学館館長。2006年、鎌倉市芸術文化振興財団理事長。

映画や小津に関する回想記があったが、2007年に初めて両親を語った『八十年の散歩』を上梓した。

2009年から、女優中井貴惠の希望で、朗読とピアノ演奏で小津映画を表現する「音語り」にかかわり、映画を1時間ほどの朗読台本に書き直した。2013年までに『晩春』『秋刀魚の味』など5作品、2017年に『麦秋』を完成させた。

2021年8月15日、老衰のため死去[1]。96歳没。

著書

  • 谷戸の風 映画人として、企業人として時を見つめ、日々を綴る… (鎌倉ケーブルコミュニケーションズ 2001年)
  • 松竹大船撮影所覚え書 小津安二郎監督との日々 (かまくら春秋社 2003年)
  • 八十年の散歩 (冬花社 2007年)
  • 小津安二郎 大全(朝日新聞出版 2019年)インタビュー収録

脚注

  1. ^ a b "山内静夫さん死去 小津安二郎監督映画のプロデューサー". 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社. 18 August 2021. 2021年8月19日閲覧
  2. ^ 山内静夫 テレビドラマデータベース

外部リンク