コンテンツにスキップ

小早川春平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
小早川 春平
時代 南北朝時代 - 室町時代
生誕 不詳
死没 応永9年1月7日1402年2月9日[1]
別名 美作守[1]
戒名 仏通寺天心宗順[1]
幕府 室町幕府
氏族 沼田小早川氏
父母 父:小早川貞平[1]
兄弟 春平土倉夏平[1]東房平[1]
篠原尚平真良貞康[1]近宗広平[1]徳光時平江良承順
則平[1]、琴江令薫[2]梨羽時春[1][3]、貳分上殿、徳光時則、比丘尼
テンプレートを表示

小早川 春平(こばやかわ はるひら)は、南北朝時代から室町時代武将沼田小早川氏当主

生涯

[編集]

沼田小早川氏は元弘の乱鎌倉幕府方として戦ったため、早くから足利尊氏に従った分家・竹原小早川家に後塵を拝していた。

春平は足利将軍家への接近を図り、本家惣領権限の強化及び、小早川氏一族の結束をめざした。

応永4年(1397年)には、従来の氏寺であった巨真寺とは別に、臨済宗の僧・愚中周及(佛徳大通禅師)を迎え、佛通寺を創建した[4][5][6]。この佛通寺建立には、竹原小早川家を含むほとんどの小早川氏庶流家が参加している。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j 今井尭ほか編 1984, p. 341.
  2. ^ 紙本著色琴江令薫像|三原市の市指定文化財” (PDF). 三原市教育委員会. 2023年2月22日閲覧。
  3. ^ 北方小学校 > 学校紹介”. 三原市 (2015年10月15日). 2023年2月22日閲覧。
  4. ^ 三原市史 第一巻 1977, p. 333.
  5. ^ 歴史”. 臨済宗佛通寺派大本山 佛通寺 (2021年6月11日). 2023年2月22日閲覧。
  6. ^ 佛通寺”. 三原市 (2022年3月29日). 2023年2月22日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 三原市役所 編『三原市史』 第一巻《通史編一》、三原市役所、1977年2月15日。NDLJP:9573832 (要登録)
  • 『小早川隆景のすべて』新人物往来社ISBN 4-404-02517-3
  • 今井尭ほか編『日本史総覧』 3(中世 2)、児玉幸多小西四郎竹内理三監修、新人物往来社、1984年3月。ASIN B000J78OVQISBN 4404012403NCID BN00172373OCLC 11260668全国書誌番号:84023599 

関連史料

[編集]

外部リンク

[編集]