小早川春平
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時代 | 南北朝時代 - 室町時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 応永9年1月7日(1402年2月9日)[1] |
別名 | 美作守[1] |
戒名 | 仏通寺天心宗順[1] |
幕府 | 室町幕府 |
氏族 | 沼田小早川氏 |
父母 | 父:小早川貞平[1] |
兄弟 |
春平、土倉夏平[1]、東房平[1]、 篠原尚平、真良貞康[1]、近宗広平[1]、徳光時平、江良承順 |
子 | 則平[1]、琴江令薫[2]、梨羽時春[1][3]、貳分上殿、徳光時則、比丘尼 |
小早川 春平(こばやかわ はるひら)は、南北朝時代から室町時代の武将。沼田小早川氏の当主。
生涯
[編集]沼田小早川氏は元弘の乱で鎌倉幕府方として戦ったため、早くから足利尊氏に従った分家・竹原小早川家に後塵を拝していた。
春平は足利将軍家への接近を図り、本家惣領権限の強化及び、小早川氏一族の結束をめざした。
応永4年(1397年)には、従来の氏寺であった巨真寺とは別に、臨済宗の僧・愚中周及(佛徳大通禅師)を迎え、佛通寺を創建した[4][5][6]。この佛通寺建立には、竹原小早川家を含むほとんどの小早川氏庶流家が参加している。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 三原市役所 編『三原市史』 第一巻《通史編一》、三原市役所、1977年2月15日。NDLJP:9573832。(要登録)
- 『小早川隆景のすべて』新人物往来社編 ISBN 4-404-02517-3
- 今井尭ほか編『日本史総覧』 3(中世 2)、児玉幸多・小西四郎・竹内理三監修、新人物往来社、1984年3月。ASIN B000J78OVQ。ISBN 4404012403。 NCID BN00172373。OCLC 11260668。全国書誌番号:84023599。
関連史料
[編集]- 東京帝国大学文学部史料編纂所編『大日本古文書』 家わけ十一ノ二:小早川家文書之1-2、東京帝国大学、1927年。 NCID BN04860811。OCLC 834195954。全国書誌番号:73018529。NDLJP:1908801