外島健吉

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外島 健吉(としま けんきち、1902年6月30日 - 1994年1月23日)は、日本実業家神戸製鋼所社長、会長を務めた。奈良県出身[1]

経歴・人物

1927年京都大学工学部を卒業し、1932年神戸製鋼所に入社した[1]。取締役、常務、専務を経て、1958年から社長に就任し、在任中は鉄鋼業界で初めてプラントの輸出に手掛けたり、同社で初の海外事務所を開設し、海外進出にも積極的に取り組んだ[2]1972年からは会長に就任した[1]

1976年から1982年までに神戸商工会議所会頭と日本商工会議所副会頭を務め、1981年神戸ポートアイランド博覧会の開催に尽力した[2]関西経済連合会副会長なども歴任した[2]1961年藍綬褒章を受章し、1963年紺綬褒章を受章し、1972年勲一等瑞宝章を受章した[1]

1994年1月23日急性心不全のために死去[2]。91歳没。

脚注

  1. ^ a b c d 「現代物故者事典 1994-1996 p387」
  2. ^ a b c d 1994年 1月25日 日経産業新聞 p31