境部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

境部(さかいべ)とは、古代日本の名代あるいは職業部(品部))の一つ。坂合部堺部とも表記する。

概要[編集]

境部のルーツは允恭天皇の皇子、坂合黒彦皇子(さかいのくろひこのみこ)の名代・子代であるとも言われている。『日本書紀』巻第十四、雄略天皇即位前紀に、坂合部贄宿禰という人物が、大泊瀬皇子(雄略天皇)に焼き殺された坂合黒彦皇子の屍を抱いて焼き殺され、後で舎人たちが骨を区分けすることができなかった、という伝承があるが[1]、この贄宿禰という人物は、坂合黒彦皇子の壬生部ではなかったのか、と言われている。

ただ、有力な説は、国境などの境界を画定する部とするものであり、『新撰姓氏録』「摂津国皇別」の無姓の坂合部氏の記事にもそのようなことが記されている。そのほかにも、大和政権が朝鮮半島南部の課税地区の農民を「境部」と称して、任那の滅亡後、任那の貢調の収納・管理をつかさどる官人の家柄を指したとする説、隼人渡来人を構成主体とし、入京する外国の使節に対し、衢(ちまた)で境界祭祀を行い、加えて使節の接待・対応にあたったとする説も見られる。

その部としての特質上、分布が大和国河内国摂津国和泉国播磨国美作国に限られている。

脚注[編集]

  1. ^ 『日本書紀』雄略天皇即位前紀(安康天皇3年8月条)

参考文献[編集]

関連項目[編集]