和田喜久夫

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和田 喜久夫
個人情報
国籍日本の旗 日本
生誕 (1951-03-01) 1951年3月1日(73歳)
新潟県三島郡寺泊町
居住地新潟県長岡市
スポーツ
競技レスリング
種目フリースタイル
獲得メダル
男子 レスリング・フリースタイル
日本の旗 日本
オリンピック
1972 ミュンヘン 68kg級
アジア大会
1970 バンコク 68kg級

和田 喜久夫(わだ きくお、1951年3月1日 - )は、日本の元レスリング選手。新潟県レスリング協会理事長。1972年ミュンヘンオリンピックレスリングフリースタイル68キロ級銀メダリスト。

人物[編集]

新潟県三島郡寺泊町(現長岡市)出身。寺泊町立寺泊中学校(現:長岡市立寺泊中学校)時代は柔道をやっていたが、新潟県立巻農業高等学校(現:新潟県立巻総合高等学校)に入学してからレスリングに転向[1]

1969年に明治大学に進学。1970年バンコクアジア大会タイ王国の旗 タイ)でフリースタイル68キロ級で優勝[2]。国内では無敵を誇っていたが、1971年のレスリング世界選手権 ブルガリアソフィア)ではダン・ゲーブル英語版アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国)に敗れて5位に終わる。

ライバルであるゲーブルへの雪辱を期して臨んだ1972年のミュンヘンオリンピック西ドイツの旗 西ドイツ)では再びゲーブルと対戦するも、手も足も出ない完敗を喫して銀メダルに終わった[3][1]

その後、1976年モントリオールオリンピックカナダの旗 カナダ)を目指そうとしたが、大病を患った為に断念した[1]

現在は故郷・新潟へ帰り、新潟県レスリング協会理事長としてオリンピック選手を新潟から輩出するべく奮闘している[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 最強のライバルに感謝 “あの日あの時 わたしの五輪” 読売新聞新潟県版 2013年10月22日付
  2. ^ Asian Games Freestyle Seniors Sportarten am IAT
  3. ^ レスリングのオリンピック日本人男子メダリストを紹介、偉大な功績を残した3選手”. 【SPAIA】スパイア (2020年5月4日). 2020年11月14日閲覧。

外部リンク[編集]