名森村
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なもりむら 名森村 | |
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廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
合併 結村、名森村、牧村 → 安八村 |
現在の自治体 | 安八町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 安八郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 10.70 km2. |
総人口 |
5,273人 (1955年) |
隣接自治体 | 岐阜県安八郡結村、牧村、墨俣町、輪之内町、大垣市、羽島市 |
名森村役場 | |
所在地 | 岐阜県安八郡名森村氷取字金沼118-1 |
座標 | 北緯35度20分08秒 東経136度39分56秒 / 北緯35.33542度 東経136.66542度座標: 北緯35度20分08秒 東経136度39分56秒 / 北緯35.33542度 東経136.66542度 |
ウィキプロジェクト |
名森村(なもりむら)は、かつて岐阜県安八郡に存在した村である。現在の安八郡安八町の大部分を占める輪中の村であり、長良川と揖斐川に挟まれた地域である。
歴史
[編集]- 地名の「名森」は村内に位置する「名木林神社」に由来し、木と林を併せて「森」としたものである[1]。明治の合併に際して、対象となった全ての村民が納得する名称として考案された[1]。
- 江戸時代末期、この地域は美濃国安八郡であり、尾張藩領、犬山藩領、天領、旗本領などであった。
年表
[編集]- 1897年(明治30年)4月1日 - 氷取村、大明神村、中須村、大野村、南今ヶ淵村、善光村、森部村、南条村、大森村、北今ヶ淵村、中村が合併し、名森村となる。
- 1929年(昭和4年)1月8日 - 犀川の改修工事を巡り、安八郡の住民と警察が名森村で衝突[2]。陸軍も鎮圧に出動し、200名以上の検挙者が出る(犀川事件)。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 結村、牧村と合併し安八村が発足[3]。同日名森村廃止。
学校
[編集]名所・旧跡
[編集]- 宇波刀神社 - 式内社宇波刀神社の論社。元伊勢の伊久良河宮の説がある。
- 名木林神社 - 元伊勢の伊久良河宮の説がある。
- 薬師堂 - 戦国時代に森部の戦いが行われ、薬師堂近くで首実検が行われた。
- 氷取城跡
- 森部城跡
その他
[編集]- 旧・名森村役場の跡地には、犀川事件を後世に残すために、石碑(輪中義民の碑)が建立されている。
脚注
[編集]- ^ a b “『水』にまつわる地名の由来について【安八町編】” (PDF). 国土交通省 中部地方整備局. 2023年4月12日閲覧。
- ^ 村民が暴動化、知事から軍隊出動を申請『東京朝日新聞』昭和4年1月10日夕刊(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p86 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ “岐阜県統計書(平成30年)” (pdf). 岐阜県. p. 6. 2020年9月4日閲覧。