千種有功
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政8年11月9日(1796年12月7日) |
死没 | 嘉永7年8月28日(1854年10月19日) |
別名 | 号:千々廼舎(ちぢのや)、鶯蛙園(おうけいえん)、在琴[1] |
官位 | 正三位、近衛権中将[1] |
主君 | 光格天皇→仁孝天皇→孝明天皇 |
氏族 | 千種家 |
父母 | 父:千種有条、養父:千種有秀 |
子 |
有顕 養子:有名、有文 |
千種 有功(ちぐさ ありこと[1]、ちくさ ありこと[2])は、江戸時代後期の公卿・歌人[1]。
経歴
[編集]はじめ一条忠良[1]、次いで有栖川宮織仁親王、久世通理らに入門して和歌を師事、。和歌のみならず書画も能筆であり[1]、また公家ながら刀剣を愛好し、その収集に飽き足らず自ら刀を鍛え[3]、2000年代でもその遺作は蒐集家に人気がある[3]。
東京都新宿区須賀町にある須賀神社に肖像・大岡雲峰画、歌・千種有功筆の三十六歌仙図が社宝として伝わっており、新宿区指定有形文化財(絵画)に指定されている[4]。
系譜
[編集]歌集
[編集]- 『千々廼舎集』 全3巻
- 『日枝の百枝』
- 『ふるかがみ』
- 『和漢草』