剱埼灯台
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剱埼灯台 | |
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航路標識番号 [国際標識番号] | 2018 [M6354] |
位置 | 北緯35度08分25秒 東経139度40分38秒 / 北緯35.14028度 東経139.67722度座標: 北緯35度08分25秒 東経139度40分38秒 / 北緯35.14028度 東経139.67722度 |
所在地 | 神奈川県三浦市南下浦町松輪 |
塗色・構造 | 白色八角塔形 コンクリート造 |
レンズ | 第2等フレネル式 |
灯質 |
複合群閃白緑互光 毎30秒に白2閃光と緑1閃光 |
実効光度 | 450,000 cd |
光達距離 |
白光17海里(約 31 km) 緑光18海里(約 33 km) |
明弧 | 207度 - 75度 |
塔高 | 16.9 m (地上 - 塔頂) |
灯火標高 | 41.1 m (平均海面 - 灯火) |
初点灯 |
1871年3月1日 (旧暦:明治4年1月11日) |
管轄 |
第三管区海上保安本部 横須賀海上保安部 |
剱埼灯台(つるぎさきとうだい)は、神奈川県三浦市東部、剱崎突端に立つ白亜塔形の大型灯台である。
1866年、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ「改税条約」(江戸条約)によって江戸幕府が建設を約束した8ヶ所の灯台(条約灯台)の一つ。設計は「灯台の父」と呼ばれるお雇い外国人リチャード・ブラントンが担当し、当初は石造であった。現在使用されている灯台はコンクリート造で、関東地震(関東大震災)の後に再建された2代目のもの。
三浦半島南東端に位置しており、浦賀水道・相模灘を照らす。剱崎から南南東に位置する館山市洲崎(洲埼灯台)までを結ぶ線が浦賀水道(東京湾)と太平洋の境界となっている[1]。周辺は岩礁が発達し、対岸に房総半島を望む風光明媚な地である。
歴史
[編集]- 1866年(慶応2年)5月:改税条約により、建設が決定
- 1871年(明治4年)3月1日(旧暦1月11日):日本で7番目の洋式灯台として初点灯
- 1923年(大正12年)9月1日:関東地震により倒壊
- 1925年(大正14年)7月4日:現在の白色塔形(八角形)コンクリート造で再建。
- 1991年(平成3年):無人化
- 1996年(平成8年)4月:無線方位信号所併設
付属施設
[編集]- 無線方位信号所(レーマークビーコン)
ギャラリー
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左の鉄塔はレーダー施設
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灯台近景(東側)
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灯台脇から望む間口漁港
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灯台周辺
脚注
[編集]- ^ 国際航海船舶及び国際港湾施設の保安の確保等に関する法律施行規則第3条第1号、船舶油濁損害賠償保障法施行規則第11条第1号、海上交通安全法施行令第1条、海洋汚染等及び海上災害の防止に関する法律施行規則第33条の6第2号(剱埼灯台は「剣埼灯台」表記)