光明寺 (宇陀市)

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光明寺
所在地 奈良県宇陀市大宇陀西山121
位置 北緯34度29分4.2秒 東経135度55分46.7秒 / 北緯34.484500度 東経135.929639度 / 34.484500; 135.929639座標: 北緯34度29分4.2秒 東経135度55分46.7秒 / 北緯34.484500度 東経135.929639度 / 34.484500; 135.929639
山号 遍照山
院号 朝徳院
宗派 融通念仏宗
本尊 阿弥陀如来坐像
創建年 不詳
中興年 応永十年(1403年)
中興 永欣上人
正式名 遍照山朝徳院光明寺
文化財 光明寺山門(県指定)
法人番号 7150005004207 ウィキデータを編集
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光明寺 (こうみょうじ)は、奈良県宇陀市大宇陀西山121にある融通念仏宗寺院。山号は遍照山。本尊は阿弥陀如来坐像。

歴史

創建年は定かでないが、平安時代中期の宇多天皇の時代と伝わる。応永10年(1403年)、融通念仏宗本山恵観浄善の弟子である永欣上人によって中興された。天正14年(1586年)、法俊によって再興された。

建物

  • 本堂
  • 山門
  • 小堂
  • 書院
  • 鐘楼

文化財

県指定文化財

  • 光明寺山門[1]
    • 山門は上層に梵鐘が吊るされた鐘楼門であり、屋根は入母屋造、檜皮葺き。梵鐘には寛文13年(1673年)の刻銘があり、木鼻・虹梁の形式から慶安年間から寛文年間の建立とされる。松山・神戸地区で最も古い建物の一つである。

アクセス

脚注

  1. ^ 県指定文化財”. 宇陀市. 2021年11月11日閲覧。