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光宗(こうそう、925年 - 975年)は第4代高麗王(在位:949年 - 975年)。姓は王、諱は昭、別名王仙。謚号は弘道宣烈平世粛憲懿孝康恵大成大王。父は太祖、母は神明順聖王后劉氏。恵宗の異母弟で定宗の同母弟。
元朝服属以前の高麗君主であったことから、中国に対しては国王と称していたが、国内では皇帝や天子といった呼称も使用していた[1]。
956年、奴婢按検法を宣布し、後三国時代の混乱期に奴婢となった者たちの身分回復を始めた。その奴婢を経済的基盤としていた高麗建国の功労者である豪族たちの勢力をそぎ、王権の強化に努めた。また科挙制度の開始など、高麗初期において国家の基盤を築いた名君として評価されている。だが、治世の後半は豪族や親族を厳しく排除し、罪なく殺された者も多かったため、後世に批判される面もあった。
光宗を主人公としたドラマ『帝国の朝』がKBS(韓国放送公社)により2002年から翌03年まで放送された。
家族
注記
- ^ 『高達寺元宗大師恵真塔』より
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高麗王 |
太祖918-943 / 恵宗943-945 / 定宗945-949 / 光宗949-975 / 景宗975-981 / 成宗981-997 / 穆宗997-1009 / 顕宗1009-1031 / 徳宗1031-1034 / 靖宗1034-1046 / 文宗1046-1083 / 順宗1083 / 宣宗1083-1094 / 献宗1094-1095 / 粛宗1095-1105 / 睿宗1105-1122 / 仁宗1122-1146 / 毅宗1146-1170 / 明宗1170-1197 / 神宗1197-1204 / 熙宗1204-1211 / 康宗1211-1213 / 高宗1213-1259 / 元宗1259-1274 / 忠烈王1274-1298 / 忠宣王1298 / 忠烈王(復位)1298-1308 / 忠宣王(復位)1308-1313 / 忠粛王1313-1330 / 忠恵王1330-1332 / 忠粛王(復位)1332-1339 / 忠恵王(復位)1339-1344 / 忠穆王1344-1348 / 忠定王1349-1351 / 恭愍王1351-1374 / 禑王1374-1388 / 昌王1388-1389 / 恭譲王1389-1392 /
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追封王 | |
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