倉田修次
くらた しゅうじ 倉田 修次 | |
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本名 | 倉田修二 |
生年月日 | 1954年9月28日(69歳) |
出生地 | 兵庫県 |
国籍 | 日本 |
民族 | 日本人 |
職業 | 撮影技師・撮影監督・照明技師 |
ジャンル | 映画・テレビドラマ ・テレビCM |
活動期間 | 1977年 - |
主な作品 | |
「熱さまシートCM」(撮影監督)/「蒼のシテン」2005年 芸術祭参加作品(撮影監督)/「カミハテ商店」2012年第47回カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭(チェコ)メインコンペンション作品(照明技師) |
倉田 修次あるいは修二(くらた しゅうじ、1954年9月28日 - )は、日本の撮影技師、撮影監督、照明技師。兵庫県出身。
来歴
- 1954年(昭和29年)、兵庫尼崎生まれ。
- 1974年(昭和49年)、撮影助手(当時リバーサルフィルムでの撮影)関西TV/競馬ダイジェスト(アルバイト)、翌年の桜花賞に於いて第4コーナーからの直線撮影を担当。
- 1976年 ATG作品「西陣心中」高林陽一監督作品、学生スタッフとして撮影助手。
- 1977年(昭和52年)、映像京都撮影部。森田富士郎撮影監督に師事。当時、映像京都は大映京都撮影所を活動拠点として主にTV時代劇の制作。『新・木枯らし紋次郎』にて撮影助手見習い。
- 1978年(昭和53年)、『柳生十兵衛』(原田大二郎主演)、『新・座頭市]]』(勝新太郎主演)で森田富士郎はじめ大映京都の撮影者の撮影助手(フォーカス)を務める。
- 1980年(昭和56年)、『徳川の女たち』(黒田義之監督)牧浦地志キャメラマンのもとで色彩計測を担当。入社3年目でチーフを務める。『悪党狩り』(尾上菊五郎主演)でチーフを担当。
- 1981年(昭和56年)、同年から始まった時代劇スペシャル (フジテレビ)の数多くの色彩計測を担当、『丹下左膳 剣風!百万両の壺』 1982年(昭和57年)(五社英雄監督)。『地獄の掟』(井上昭監督)。両作品とも森田富士郎撮影監督の色彩計測。
- 1984年(昭和59年)、『旅芝居行進曲』(高橋勝監督作品)に於いて森田富士郎撮影監督/渡邊貢キャメラマンの色彩計測を担当。
- 1986年(昭和61年)、『国士無双』( 保坂延彦監督)で村井博撮影監督に付き映画の色彩計測。
- 1986年(昭和61年)、『犬死にせしもの』(井筒和幸監督)で藤井秀男撮影監督の色彩計測を担当。他に『典子は今』(松山善三監督作品)、『里見八犬伝』(深作欣二監督作品)、につく。
- 1986年(昭和61年)、大映京都撮影所が完全閉鎖。仕事の場を街場に移す(京都の太秦では大阪で仕事をする事を「街場で仕事をする」と言われる)。「OTVF」のカメラマンに呼ばれTVCMのチーフとなる。その後CMプロダクション『大阪テレコム』や『学研クリエイティブ』でキャメラマンとなる。初キャリア作品1987年(昭和62年)、なんばcity生誕8周年バーゲンCM。
各受賞作品
- 1990年(平成2年)、情報センター/ジェイワン「履歴ビデオ」篇ACC地域賞、NTT中国/時報CM『秒針かあさん』篇ACC地域賞( ニッポンムービー制作)(すやかずし監督)撮影担当。
- 1992年(平成4年)、近畿日本鉄道名阪特急『ばくざんせんせい』篇(創造)「ACC奨励賞」撮影担当。
- 1996年(平成8年)、大阪ガス信頼向上CM「ドクトルガス」編(エンジンフィルム)藤田剛監督、「ACC賞受賞」の撮影担当。
- 2001年(平成13年)、ポン愛媛みかん100%『ガッツみかん』篇(シースリーフィルム大阪)小田良之監督、「ACC奨励賞」撮影担当。
- 2005年(平成17年)、「蒼のシテン」(富山チューリップTV制作)(鐘江稔監督)全映協デジタルコンテンツ部門最優秀賞「DCA」の撮影監督(撮影・照明)。
- 2012年映画『カミハテ商店』北白川派制作(監督:山本起也)第47回カルロヴィ.ヴァリ国際映画祭メインコンペティション部門正式招待作品、第8回大阪アジアン映画祭のプレイベント、「おおさかシネマフェスティバル」主演、高橋惠子【主演女優賞】、谷川賢作【音楽賞】、山本起也監督【新人監督賞】受賞。プロデューサー高橋伴明監督/主演:高橋惠子両氏に山梨文学シネマアワード 2013が送られる、アルマトイ国際映画祭(カザフスタン)で最優秀作品賞。映画の照明技師を担当。
人物・エピソード
- 映像京都入社前は学生アルバイトで、撮影助手(フィルムローダー)としてテレビ局で働いた。映像京都に入ってからも時代劇の無い時は関西テレビ系列や毎日放送系列でFilm撮影助手として、数年後にはカメラマンとしてテレビ番組を撮影する。MBSTV真珠の小箱「伊勢おしろい」「那智の火祭り」、現在を生きる「公民館活動」「二分脊椎」、BBCTV「ぶどうのなる町」、ABCTV「晴れ時々たかじん」取材他多数
- 撮影所では異例の3年でチーフ助手(色彩計測)になる。「優秀だったわけではなく大映が倒産、京都撮影所は独立、労働組合の運営等で東映労組との協力関係にあり、大映撮影部が東映に行く事はなく、牧浦地志撮影監督の東映京都撮影所での仕事の際に、比較的自由な倉田修二が皆に指名され牧浦氏に付いて東映に行った」という。まだ経験数年の彼はセカンド探しに手間取り、仕方なく学生上がりの後輩をセカンドに起用。当初フィルムは装填できるが、フォーカス送りは出来ず彼が計測とフォーカス両方を兼ねた。
- 大映京都完全閉鎖と映画「犬死にせしもの」での現場に失望し暫く映画から離れるつもりで街場に行きCM撮影を中心になった。暫くでは無く現在もCM中心である。
- 大阪に出て2年でカメラマンに成る。OTVFの大西和司カメラマンが彼のCM時代の師匠である。師匠の言葉でCMに対する思いが変わったという。「倉田、テレビ映画ではお客さんは大抵一回、再放送があったとしても2回観るのがやっとだ、映画も好きな場合は数回観るかもしれないが、CMは一日数回目にする物だ、だからこそ撮影は確りと撮らないとダメ」商品に対する気持ちは絶対である。それがCM。
- 大映京都撮影所では森田富士郎に「カメラマンは最初の観客で観客の代表として覗かないと駄目、CMではその商品を最初に素敵だと思う所まで高めないと駄目」と教わったそうである。
- フィルムから時代はデジタルへ、そこで当時フィルムガンマに近いカーブを開発したPnasonic Varicamに興味を示しIBCの展示映像「ミステリアルオーシャン」を撮影、またパナソニックSSマーケティングと供にSudio DU大阪を開設、また自身の事務所IDC(映像創作集団)を3人の仲間と供に併設し現在に至る。
- 自身は2014年から京都造形芸術大学の映画学科准教授を拝命し事務所経営は他に預ける。
- 現在(協)日本映画撮影監督協会 理事
※次世代映像を構築目的にエア ・フローティングメディア *産経新聞Web 3D短編に秘められた「大魔神」復活の夢 森田富士郎撮影監督追悼
参考文献
国立図書館所蔵 掲載誌名 :映画撮影 1.タイトル:Forum 日タイ映画人シンポジウム 著者 石田 耕一郎 著者 倉田 修二 出版年 2005 注記 記事種別: 会議・学会報告・シンポジウム 対象利用者 一般 資料の種別 :記事・論文 掲載号 167 掲載ページ 70~72 言語(ISO639-2形式) jpn : 日本語
2. タイトル :日中映画人シンポジウム報告 著者 石田 耕一郎 著者 倉田 修二 シリーズ名 映画祭特集 出版年 2005 注記 記事種別: 会議・学会報告・シンポジウム 対象利用者 一般 資料の種別 記事・論文 掲載号 164 掲載ページ 71~73 言語(ISO639-2形式) jpn : 日本語
3.タイトル :撮影報告 『吉本大喜劇 電気トオル』 著者 倉田 修二 出版年 2003 対象利用者 一般 資料の種別 記事・論文 掲載号 157 掲載ページ 20~23 言語(ISO639-2形式) jpn : 日本語
4.タイトル :ソニーF900テスト撮影in京都 著者 島村 漱 著者 倉田 修二 出版年 2001 対象利用者 一般 資料の種別 記事・論文 掲載号 151 掲載ページ 60~63 言語(ISO639-2形式) jpn : 日本語
5.タイトル :撮影報告 「CM積水化学グループ」 著者 倉田 修二 出版年 2000-02 対象利用者 一般 資料の種別 記事・論文 掲載通号 144 掲載ページ 26~29 言語(ISO639-2形式) jpn : 日本語 掲載誌情報(ISSN形式) 02850346 掲載誌情報(ISSNL形式)02850346
掲載誌情報(URI形式) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000034735-00
毎日新聞社 毎日小学生新聞2013年(平成25年)4月3日 第26743号 疑問氷解「3D映画の仕組み」インタビュー記事