修辞学

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プラトンは、客観的真理を否定するソフィストの雄弁術(レトリケ)を批判し、理性で認識可能な真理を扱う「哲学」の優位性を主張した。

修辞学(しゅうじがく、英語:rhetorica)は、弁論・叙述の技術に関する学問分野。レトリック雄弁術弁論術説得術とも。

欧州古代・中世で教養の中核を成していたが、近代に衰退。古代・中世の教育規範である自由七学芸の内の一つ。[1] 基本的には演説の技術で、いかに聴衆を納得させるかを目的とするかなり政治的なもの。[2] そのため修辞学では、聴衆の心理操作が大きな位置を占め、さらに、演説をより魅力的に見せるために、身ぶり発声法なども重要視される。つまり、言語学詩学演技論などの総体だった。だが近代ではさまざまな学問に分化し、あくまで言語表現に磨きをかける技術、という領域に押し込められる。

古くはプラトンの著作『ゴルギアス』に雄弁術(レトリケ)を用いる人々が登場し、大きな主題になっている。当時のポリス社会において、法廷や広場(アゴラ)などで人々を説得する雄弁家という職業が存在し、ソフィストとも呼ばれた。ソクラテスは彼らに対して一問一答で臨み「議論をしている当人をこちらの支持する証人たらしめる」のが目的であるとして民衆に訴える雄弁術とは一線を画した。

しかし、プラトンの弟子であるアリストテレスは、プラトンとは異なり、この雄弁術・弁論術(レトリケ)を、弁証術(ディアレクティケ)と相通じる技術として捉え、先行する専門書の内容を、より広い観点から体系化した、そのものずばり『弁論術』という名の著作を残している。

修辞学が理論づけられた一学問として体裁を整えるようになったのは、古代ローマキケロ『弁論家について』とクィンティリアヌス『弁論家の教育』の力が大きく、レトリックの五分野、発見・配列・呈示・記憶・演示が確立したのもこの時代である。特に、「発見」は主題を選別し決定するという技法を指し、トポス(演説のための常套句)を収集し、演説のときの助けにするというのが欧州中世の教養の大部分を占めた。

脚注

  1. ^ cf. Conley, T.M. (1990). Rhetoric in the European Tradition. University of Chicago Press  Kennedy, G.A. (1994). A New History of Classical Rhetoric. Princeton University Press 
  2. ^ The definition of rhetoric is a controversial subject within the field and has given rise to philological battles over its meaning in Ancient Greece. See, for instance, Johnstone, Henry W. Jr. (1995). “On Schiappa versus Poulakos”. Rhetoric Review (Spring) 14:2: 438-440. 

参考文献

関連項目

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