余計者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Tiyoringo (会話 | 投稿記録) による 2012年5月5日 (土) 23:07個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎参考文献)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

友人と決闘するオネーギン。レーピン作。
ファイル:Oblomov Cover.jpg
少年時代のオプローモフ。ブックカバーより。

余計者(よけいもの)とは、19世紀ロシア文学にしばしば主人公として登場する人物像のことである。ロシア語ではЛишний человек英語ではSuperfluous Manと訳される。

概要

「余計者」は、貴族階級の青年知識人で、進歩的な思想を身につけ、優れた資質をもちながら、それを社会のために生かせず、決闘恋愛遊戯などの馬鹿げたことに精力を浪費したり、無気力になって屋敷にこもったりする[1]

1850年ツルゲーネフの小説『余計者の日記』によって、この種の人物を「余計者」と呼ぶようになった。

余計者が数多く描かれたのは、当時の社会情勢を反映している。皇帝アレクサンドル1世(在位1801-1825年)の時代には、西欧自由主義思想が貴族階級を中心に広まり、専制政治農奴制の改革を求める風潮が強まっていった。しかし、1825年に政府打倒を目指したデカブリストの乱が失敗に終わると、新帝ニコライ1世(在位1825-1855年)の苛酷な弾圧が始まる[2]。その結果、有為の青年たちが活動の場を奪われ、その能力をもてあまし、鬱屈しながら生きていくようになったのである[3][4]

影響

余計者の系譜に連なるのは、グリボエードフ智恵の悲しみ』(1824年)のチャーツキー、プーシキンエヴゲーニイ・オネーギン』(1823-1830年)のオネーギン、レールモントフ現代の英雄』(1839-1840年)のペチョーリン、ゲルツェン誰の罪』(1841-1846年)のベリトフ、ツルゲーネフ『ルージン[5](1856年)のルージン、同じく『貴族の巣』(1859年)のラヴレーツキー、同じく『父と子』(1862年)のバザーロフ、ゴンチャロフオブローモフ』(1859年)のオブローモフなどである[6][7]

脚注

  1. ^ 木村彰一他、1977年、110頁。
  2. ^ 木村彰一他、1977年、94-96頁。
  3. ^ 佐藤清郎. “余計者”. Yahoo!百科事典(小学館『日本大百科全書』). 2011年3月30日閲覧。
  4. ^ 渡辺雅司「余計者」『集英社 世界文学大事典 5』集英社、1997年、834頁頁。ISBN 978-4081430055 
  5. ^ 二葉亭四迷は1897年(明治30年)にこの作品を翻訳したとき、題名を『うき草』にしている。
  6. ^ 木村彰一他、1977年、110頁。
  7. ^ マーク・スローニム、1976年、187頁。

参考文献

外部リンク

  • 余計者 - Yahoo!百科事典(佐藤清郎/小学館『日本大百科全書』)