井上豊太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Claw of Slime (会話 | 投稿記録) による 2014年4月30日 (水) 14:27個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

井上 豊太郎(いのうえ とよたろう、1861年6月6日文久元年4月28日) - 1951年昭和26年)1月13日)は、日本の医学者眼科医島根県生まれ。

経歴

島根県邇摩郡宅野村(現・大田市仁摩町)に井上柳葊の三男として生まれる。1880年、島根県医学校に入学。1884年に同校を卒業後、1887年獨逸学協会学校入学。1889年からドイツへ留学し、ベルリン大学ミュンヘン大学などで研鑽を積む。1895年医学博士の学位を取得。

1896年、帰国して東京眼科病院を開院。1909年、ミュンヘン大学の恩師であるアウグスト・フォン・ロートムントの処方箋を参考に目薬を処方し、信天堂山田安民薬房(現ロート製薬)の山田安民が「ロート目薬」として調製・発売。広告には「井上博士のロート目薬」というキャッチコピーが付けられた。

参考文献

  • 『仁摩町誌』(1972年)