井上徳三郎

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井上 徳三郎
生誕 1867年
尾張国名古屋
死没 1936年12月1日
国籍 日本の旗 日本
職業 実業家
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井上 徳三郎(いのうえ とくさぶろう、1867年(慶応3年)[1] - 1936年(昭和11年)12月1日)は、現在の愛知県名古屋市中区出身[1]実業家である。

生涯

1896年、銀行員から両替商に転じ[1]、日露戦争後の好景気によって巨万の富を得る[1]。1911年、両替商で上げた利益を元に、愛知県西加茂郡猿投村(現:豊田市井上町)の山林を130ha購入し、井上農場を設立[1]。入植当時は、農家6戸30人で開墾を開始したが[1]、後に62戸306人と拡大していった[1]。農場の主な農作物は大根果樹葉などで、見学者は6000人を超えたという。

「徳は事業の基なり」の信条から、社会事業に多大な功績を残した[1]。例えば、猿投農林高校移転の際は、井上農場の土地7,000坪を愛知県に寄付したほか、三河鉄道が駅の用地不足で困った際は猿投駅の用地を寄付した[1]。1932年には同駅の改築のための資金も提供している。更に、商売を希望する人間に3年間地代無料で土地を貸すなどもしている。

1926年、井上真冽翁頌徳碑が建立された[1]。1936年、東山の地名は「井上」と改められ、現在の井上町の地名となっている[1]。 

経歴

  • 1867年 - 商家の三男として誕生。
  • 1980年 - 関戸銀行創業により入社。
  • 1897年 - 関戸銀行を退社。両替商を始める[1]
  • 1911年 - 愛知県西加茂郡猿投村東山の山林を購入[1]
  • 1912年 - 井上農場を設立して開墾[1]
  • 1922年 - 郡立農学校(後の愛知県立猿投農林高等学校)に土地を寄進。
  • 1923年 - 紺綬褒章を受章。
  • 1924年 - 三河鉄道に土地を寄進。これが猿投駅となる。
  • 1936年 - 死去。享年68。
  • 1953年4月1日 - 西加茂郡猿投村が町制施行して猿投町となる。
  • 1967年4月1日 - 猿投町が豊田市と合併。旧井上農場一帯が現在の豊田市井上町となる。

旧井上家西洋館

愛知県豊田市豊田市民芸館に旧井上家西洋館という明治期の洋館がある。これは名古屋市から移築され、迎賓館・住居として使用していた建物である。1988年に現在地に移築された。2000年12月に国の登録有形文化財に登録されている。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 井上 徳三郎(いのうえとくさぶろう)-徳は事業の基なり-”. apec.aichi-c.ed.jp. 愛知県総合教育センター. 2022年8月21日閲覧。

外部リンク