五胡

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五胡(ごこ)は、中国の魏晋南北朝時代に、中国に侵入した、匈奴鮮卑の5つの非漢民族のこと。魏晋南北朝時代に、次々と中国北部を中心に国家を建てた。

一体、中華の文明を築いたのが、いわゆる漢民族であったのか、その点に関して問題がある。実態は、三代以前より、華北地方に定住を果たしていた諸族が、中華文明の成立に寄与し、相互に同化し合って「漢民族」となっていったものと考えるのが、道理に適っている。やがて時代が下って、春秋戦国時代の分裂を経て、秦漢帝国として統一政権が樹立されることになる。

匈奴が、その秦漢帝国と対峙した北方遊牧民族であることは、広く知られるところである。最盛期の冒頓単于の時代には、モンゴル高原を地盤に、広大な領土を有し、覇を唱えていた。武帝の征討等によって次第に国力が衰微し、後漢代には北匈奴が西走した。しかし、南匈奴は呼韓邪単于(日逐王)の統制下のもと、華北に移住した。その人口は、後漢中期には、30万人弱に及んだという。

羯は、去勢した羊を表す象形であるとされ、やはり、遊牧民を連想させる蔑称であると考えられる。また、その特徴は彫りの深い顔立ちであったため、羯族の誅殺の巻き添えとなった者が20万余に達したという記録がある[要出典]

鮮卑はモンゴル系部族であるとされ、半猟半農の生活をしていた民族が、匈奴の後を追って南下し、漢に服属したものと考えられている。但し、その集団の中には、宇文部のように匈奴の勢力も含まれていた。

氐・羌とは、チベット系民族である。甘粛省陝西省四川省の地域に、古くより定住していた民族である。このように、五胡とは、の時代になって急に出現した異民族ではなく、それ以前より華北の地に定住し、漢民族と雑居していた集団を指す言葉である。

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