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主の祈り

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エルサレムにある我等の父教会に掲げられているギリシャ語の天主經

主の祈り(しゅのいのり)はキリスト教の代表的な祈祷文である。「主祷文」(しゅとうぶん)とも。日本ハリストス正教会では「天主經」(てんしゅけい、天主経)と呼ばれる。

キリスト教は、神への祈りを捧げる時に唱える様々な定型文(祈祷文)を持っている。どの文を正統な祈祷文と認めるかは教派によって異なり、またプロテスタントの一部には定型文としての祈祷をほとんど持たない教派もある。

その中で、主の祈りは唯一、イエス・キリストその人が「祈るときは……(中略)こう祈りなさい」と言って弟子たちに与えたとされる祈祷文である。イエスがこの祈祷文を弟子たちに教えるシーンが福音書(マタイによる福音書6章9節~13節、ルカによる福音書11章2節~4節)に書かれており、主だったキリスト教教派は主の祈りを正統な祈祷文として認めている。

多くの教派において、主の祈りは作曲され、聖歌ないし賛美歌として歌われている。

構成

主の祈りは具体的には次のような文章であり、最初の3つの祈り(3~5行)はと天上に関する祈り、次の3つの祈り(6~8行)は人間と地上に関する祈りである。また、9行目は福音書には見られず、後に付け加えられたと考えられているもので、一種の頌栄と考えられている。

主の祈りの文言は訳により、また教会の信仰上の問題により、教会・修道院や学校等によって様々である。

プロテスタント訳(1880年)

下記の訳文は、プロテスタント系の讃美歌集の多くに掲載されている文語訳のもので、現在でも多く用いられている。

天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン

カトリック教会と日本聖公会の共通口語訳

近年カトリック教会日本聖公会では、独自の文語訳ないし口語訳から、以下に紹介する共通口語訳を制定して用いている。

天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。
アーメン

斜字部分(国と力と栄光は、永遠にあなたのものです)は、エキュメニカル(超教派的)な集いなどで頌栄を続けて唱える場合の祈りと扱われることがある。カトリック教会ではこの部分が主の祈りとして唱えられることは少なく、ミサ式次第には、共通口語訳のうちこの部分を除いた祈りが掲載されている。またカトリック教会の典礼聖歌集に掲載されている主の祈りの聖歌も、同様である。 [1]

なお、1990年版日本聖公会祈祷書 聖餐式 においては、冒頭部分にルブリック(小さい文字で書かれる注釈)で「主の祈りを歌いまたは唱える」と書かれており、また斜線部分(頌栄)の直前にルブリックで「続けて次の祈りを歌いまた唱える」と書かれてある。

カトリックのミサにおいて、頌栄(国と力と栄光は、限りなくあなたのもの。)の直前に、主の祈り副文と呼ばれる祈りを司祭が唱える。

カトリック教会の文語訳

カトリック教会が、2000年2月15日まで使用していた主の祈り。現在は、ほとんど使用されていない。

天にまします我らの父よ
願わくは
み名の尊まれんことを
み国の来たらんことを
み旨の天に行わるる如く地にも行われんことを
我らの日用の糧を今日我らに与え給え
我らが人に許す如く我らの罪を許し給え
我らを試みに引き給わざれ
我らを悪より救い給え
アーメン

日本正教会の「天主経」

日本正教会は明治期に作成された独特の文語体を現在でも使用しており、天主経(てんしゅけい)と呼ぶ。頌栄の部分は、司祭がその場に居るか居ないかで変わる。正教会では聖体礼儀などの奉神礼においてのみならず、食前や集会の始まりに天主経を用いる。多く集会の場では定められた単純な旋律にのせて歌われる。

てんいまわれちちや。
ねがはくなんぢせいとせられ。
なんぢくにきたり。
なんぢむねてんおこなはるるがごとく、
にもおこなはれん。
にちようかてこんにちわれあたたまへ。
われおひめあるものわれゆるすがごとく、
われおひめゆるたまへ。
われいざなひみちびかず、
なほわれきょうあくよりすくたまへ。
(司祭が居る場合、以下司祭朗誦・高声)
けだくに權能けんのう光榮こうえいなんじちち聖神゜せいしんす、
いま何時いつ世々よよに。
「アミン」。
(司祭がいない場合は以下、ただし唱えられないことも多い)
けだくに權能けんのう光榮こうえいなんじ世々よよす「アミン」。

典礼上の使用

多くの教派が、その公祈祷に主の祈りを取り入れている。もっとも代表的なものは、ミサ聖体礼儀などの聖餐を伴う祈祷である。また正教会においては、晩課や各時課にも用いる。具体的な配置についてはそれぞれの項目を参照。

脚注

  1. ^ カトリック中央協議会 祈りに関する発表 主の祈り[1]

関連項目

外部リンク


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