中野城 (上野国)

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中野城
群馬県
別名 中野館
城郭構造 平城
築城主 中野氏
築城年 1265年文永2年)
主な改修者 宝田和泉守
廃城年 1590年天正18年)
指定文化財 史跡等未指定[1]
位置 北緯36度15分56.4秒 東経139度27分54.0秒 / 北緯36.265667度 東経139.465000度 / 36.265667; 139.465000 (中野城)座標: 北緯36度15分56.4秒 東経139度27分54.0秒 / 北緯36.265667度 東経139.465000度 / 36.265667; 139.465000 (中野城)
地図
中野城の位置(群馬県内)
中野城
中野城
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中野城(なかのじょう)は、群馬県邑楽郡邑楽町にあった日本の城

概要[編集]

中野城は文永2年(1265年)、新田氏の一族中野景継によって築城された。

景継の子中野藤内左衛門延元3年(1338年)、越前国の藤島の戦いにおいて、新田義貞とともに戦死したため、廃城となったと伝えられている。

戦国時代には、小泉城富岡氏配下の宝田和泉守が、中野氏の故城を修築し本拠としたが、天正18年(1590年)、豊臣秀吉小田原征伐に伴い廃城となった。

脚注[編集]

  1. ^ 「町の文化財」邑楽町公式HP

関連項目[編集]