中央アフリカ帝国
中央アフリカ帝国(ちゅうおうアフリカていこく、フランス語:Empire Centrafricain)は1976年12月4日に中央アフリカ共和国の大統領ジャン=ベデル・ボカサが国号の改称を宣言してから、1979年9月20日にクーデターにより帝政崩壊するまでの間に用いられた国号である。
概要
ボカサは1976年12月4日に帝国への国号改称を宣言し、ちょうど1年後の1977年12月4日に戴冠式を挙げ、皇帝ボカサ1世となった。戴冠式には国家予算の2倍にあたる2500万ドルを費やしたとされる。戴冠式には国際儀礼で皇帝と同格とされる日本の昭和天皇とイラン帝国のモハンマド・レザー・パフラヴィーを招待したが、二人とも出席しなかった(ただし、昭和天皇は祝電を送っており、日本政府も国号改称を承認している)。フランスは帝国を承認し、物資援助を続けた。だが、既に帝国は粛清による人材不足、赤字経済が重なり、崩壊への道を辿っていた。
1979年1月、反帝政の学生デモが勃発したが、ボカサはこれを武力鎮圧、およそ400人の死者を出した。この後、フランスも帝政打倒を画策、ボカサは新たなる同盟者を求めてリビアに向かった。その訪問中の9月20日、フランス軍の無血クーデターが起き、帝政は廃止され、ボカサは亡命を余儀なくされた。数年間の亡命生活の後、ボカサは1986年に帰国、1987年に死刑を宣告されたが、1993年に釈放された。