中央アフリカ帝国

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中央アフリカ帝国
Empire Centrafricain
中央アフリカ共和国 1976年 - 1979年 中央アフリカ共和国
中央アフリカの国旗 中央アフリカの国章
国旗 国章
中央アフリカの位置
公用語 フランス語
首都 バンギ
皇帝
1976年 - 1979年 ボカサ1世
首相
1976年 - 1978年 アンジュ=フェリクス・パタセ
1978年 - 1979年 アンリ・マイドゥ
面積
62,2984km²
人口
1979年 2,400,000人
変遷
成立 1976年12月4日
消滅 1979年9月20日
通貨 中部アフリカCFAフラン

中央アフリカ帝国(ちゅうおうアフリカていこく、フランス語Empire Centrafricain)は1976年12月4日中央アフリカ共和国の大統領ジャン=ベデル・ボカサが国号の改称を宣言してから、1979年9月20日クーデターにより帝政崩壊するまでの間に用いられた国号である。

2013年現在、国号に「帝国」を冠した最後の国家でもある。

概要[編集]

ボカサは1976年12月4日に帝国への国号改称を宣言し[1]、ちょうど1年後の1977年12月4日に戴冠式を挙げ、皇帝ボカサ1世となった[1]。戴冠式には国家予算の3分の1にあたる日本円にして約65億円を費やしたとされる[1]。戴冠式には国際儀礼で皇帝と同格とされる日本昭和天皇[1]イラン帝国モハンマド・レザー・パフラヴィーを招待したが、二人とも出席しなかった(ただし、昭和天皇は祝電を送っており、日本政府も国号改称を承認している)。フランスは帝国を承認し、物資援助を続けた。だが、既に帝国は粛清による人材不足、赤字経済が重なり、崩壊への道を辿っていた。

1979年1月、反帝政の学生デモが勃発したが、ボカサはこれを武力鎮圧、約100人の小学生を含むおよそ400人の死者を出した[1]。この後、フランスも帝政打倒を画策、ボカサは新たなる同盟者を求めてリビアに向かった。その訪問中の9月20日、フランス軍の無血クーデターが起き、帝政は廃止され、ボカサは亡命を余儀なくされた[1]。数年間の亡命生活の後、ボカサは1986年に帰国、1987年に死刑を宣告されたが、1993年に釈放された[1]

参考文献[編集]

脚注・出典[編集]

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  1. ^ a b c d e f g 『世界の最凶独裁者 黒歴史FILE』、73頁。

関連項目[編集]

同様に、大統領大総統)が皇帝に即位した例