中塚元太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Yaruohrhm (会話 | 投稿記録) による 2021年12月24日 (金) 03:28個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎参考文献: cat調整)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

中塚 元太郎(なかつか もとたろう、1896年9月1日[1] - 1972年10月9日[1])は、日本政治家岡山県児島市(現・倉敷市)長。

来歴

岡山県児島郡小田村出身[1]。旧制矢掛中学校(現・岡山県立矢掛高等学校)、早稲田高等学院を経て、1920年早稲田大学英法科を卒業する[1]証券会社に勤務した後は帰郷し、小田村収入役となる[1]。その後、退職し、朝鮮に渡り、農場、酒造、漁業に従事する[1]。再び帰郷し、1942年、児島町(小田村は1928年に町制施行し、児島町に改称)会議員、1947年、児島町長となり[1]、翌1948年、児島市の発足により児島市長となる[1]。2期務めた後、1956年の市長選では元助役中村純雄に敗れるが[1]、4年後の1960年に中村を破り、市長に返り咲いた[1]。市長は倉敷市と合併するまでの1967年まで務め、合併後の倉敷市の市長職務執行者となった[1]。合併から5年後の1972年に死去した。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『岡山歴史人物事典』、705頁。

参考文献