中垣輝光

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中垣 輝光(なかがき てるみつ、1961年11月12日 - 2010年2月15日)は、元競輪選手日本競輪選手会福岡支部に在籍していた。現役当時のホームバンクは久留米競輪場

来歴

日本競輪学校第47期生。1981年4月26日甲子園競輪場でデビュー(4着)。初勝利は同年7月18日観音寺競輪場

2010年2月15日、広島競輪場第3レース・A級チャレンジ予選で、最終5周目に入ってから他の8選手よりも大きく遅れ始め、最終第3コーナー付近でよろけるように倒れた。既に心肺停止状態だったため、近くの病院に運ばれたが、まもなく死亡した。48歳没。死因は虚血性心疾患だった[1]

選手登録削除日は2010年2月16日。通算戦績2112戦113勝、優勝6回。

外部リンク

脚注

  1. ^ 競輪における競技中の死亡事故としては、頭蓋骨骨折等による死亡例を除けば、2003年1月3日伊東温泉競輪場でレース後に心不全のため死亡した服部雅春選手以来の事例となった。