下田城 (伊豆国)
下田城 (静岡県) | |
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別名 | 鵜嶋城 |
城郭構造 | 海城 |
築城主 | 後北条氏 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 後北条氏、戸田氏 |
廃城年 | 江戸時代 |
遺構 | 空掘 |
位置 | 北緯34度40分00.70秒 東経138度56分55.40秒 / 北緯34.6668611度 東経138.9487222度 |
立地・構造
現在の静岡県下田市の、下田港の湾口を扼する西側の岬全体が城地だった。直径800mの円内に複数の入江が点在する天然の地形を利用し、曲輪が配置されていた。本丸は東西12m・南北30mの平場で、本丸の北側に2段の天守曲輪があった。最南端のお茶ケ崎に物見櫓があり、直下の和歌の浦が船溜りとされた。
歴史
後北条氏は当城を小田原水軍の根拠地とし、玉縄衆の朝比奈孫太郎が入っていた。やがて豊臣秀吉との関係が悪化すると伊豆衆の清水康英を城将とした。天正18年(1590年)に豊臣側の加藤嘉明らの率いる淡路水軍が来襲し、康英は手兵600余で約50日にわたって籠城した後に開城している。北条氏の滅亡後は徳川家康の家臣・戸田忠次が下田5,000石を治め、当城主となった。忠次の子・尊次は慶長6年(1601年)に三河国の田原城へ転封となり、以後は江戸幕府の直轄領として下田町奉行が支配し、廃城となった。城址は下田公園となっている。
参考文献
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(22.静岡県)』、角川書店、1982年