下付知駅

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下付知駅
駅舎(1995年、現存せず)
しもつけち
SHIMOTSUKECHI
稲荷橋 (0.8 km)
地図
所在地 岐阜県恵那郡付知町野尻(現・中津川市付知町野尻)
北緯35度38分18.5秒 東経137度26分26.2秒 / 北緯35.638472度 東経137.440611度 / 35.638472; 137.440611座標: 北緯35度38分18.5秒 東経137度26分26.2秒 / 北緯35.638472度 東経137.440611度 / 35.638472; 137.440611
所属事業者 北恵那鉄道
所属路線 北恵那鉄道線
キロ程 22.1 km(中津町起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1924年大正13年)8月5日
廃止年月日 1978年昭和53年)9月18日
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下付知駅(しもつけちえき)は、かつて岐阜県恵那郡付知町(現・中津川市)に存在した北恵那鉄道北恵那鉄道線廃駅)である。北恵那鉄道線の終着駅であった。

概要[編集]

元々、北恵那鉄道は福澤桃介が経営する大同電力木曽川大井ダムを建設する際、付知川から筏を使っての神宮備林の木材輸送が出来なくなってしまうことから、ダム建設の条件として建設された鉄道であり、貨物輸送も多く行なっていた。当駅は付知森林鉄道(名古屋営林局付知営林署が運営していた森林鉄道)下付知停車場と接続しており、木材は付知森林鉄道から北恵那鉄道線を経由し、中津町駅にて中央本線中津川駅へと運搬されていた。

歴史[編集]

  • 1924年大正13年)8月5日:北恵那鉄道線開通に際し開業。
  • 1932年昭和7年):付知森林鉄道が開業。下付知停車場が当駅に隣接して設置される。当駅 - 付知間の免許が失効。
  • 1959年(昭和34年):付知森林鉄道廃止。
  • 1978年(昭和53年)9月18日:北恵那鉄道線廃止により廃駅。

駅施設[編集]

木造駅舎が設置され、有人駅であった。下付知駅は付知町の中心地から離れた位置に存在した。当初は下付知駅から付知町の中心地の付知までの計画であったが、用地買収がうまくいかず、1932年(昭和7年)に免許が失効している。

旅客用としては1面1線のホームを有していた。木材運搬用の貨物引込み線や側線、付知森林鉄道の引込み線や貯木場が設置されており、広い構内を有していた。

乗客・貨物の推移[編集]

年度 乗車人員 降車人員 貨物発送トン 貨物到着トン
1924 17,566 20,083 1,105 1,141
1925 42,775 41,823 11,871 4,459
1926 39,581 41,174 12,374 6,131
1927 37,876 36,566 9,329 5,227
1928 34,111 33,474 16,206 4,599
1929 28,654 28,615 13,728 4,284
1930 22,787 23,296 14,245 2,715
1931 16,565 16,592 13,197 1,660
1932 12,748 13,074 12,183 1,194
1933 14,388 16,389 12,589 3,099
1934 12,719 14,153 14,754 1,785
1935 12,709 10,848 12,486 1,035
1955 55,836 51,467 9,673.2 2,436.0
1956 56,030 50,821 10,057.0 3,237.5
1957 57,513 52,484 7,523.3 3,325.6
1958 67,772 61,595 6,838.4 4,229.0
1959 65,111 59,359 5,527.4 4,295.2
1960 68,486 30,581 4,627.9 3,961.7
1961 71,291 63,519 4,694.0 3,880.8
1962 73,830 65,773 5,431.8 4,278.4
1963 85,393 75,586 5,055.4 2,863.6
1964 101,059 91,655 4,576.9 3,196.2

現在の状況[編集]

駅舎は北恵那交通「下付知」バス停の待合所などに使用されていたが、老朽化により2002年1月に解体された。跡地は更地になっている。ホームの周辺は土で埋められたが、ホームの痕跡は確認できる。

廃車されたモ561も「下付知」バス停の待合所に利用されていたが、老朽化のため解体されている。

隣の駅[編集]

北恵那鉄道
北恵那鉄道線
稲荷橋駅 - 下付知駅

脚注[編集]

関連項目[編集]