三浦周行

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三浦 周行(みうら ひろゆき、1871年7月21日明治4年6月4日[1]) - 1931年昭和6年)9月6日[1][2])は、日本歴史学者法制史の研究者。文学博士[3]京都帝国大学名誉教授[4]。第10回帝国学士院恩賜賞の受賞者。文格院殿嵩山周行居士。

来歴・人物

出雲国島根郡内中原町(現:島根県松江市)に、三浦正祐の長男として生まれた。幼名は禄之助。元服し、周行と称した。読みは「ひろゆき」だが、学者としては「しゅうこう」と呼ばれることもある。

1890年東京英和学校を修業[5]し、東京帝国大学文科大学選科に入学[6]1893年に国史科を修業[5]し、史料編纂助員となる[5]。のち史料編纂官[7]。さらに東京帝国大学法科大学より法制類聚編纂を嘱託され、歴史学と法学双方の研究を経る過程で日本に「法制史」という新しい学問分野を打ち立てた。

1907年に京都帝国大学文科大学講師[8]となり、1909年に教授[9][10]。以後、近畿地方を中心とする各地の寺社・旧家の古文書、古記録の調査、収集を行い、市史や地域史の編纂にも携わり、『鎌倉時代史』、『歴史と人物』(1916年)、『法制史の研究』(1919年)、『国史上の社会問題』(1920年)、『続法制史の研究』(1925年)、『日本史の研究』1・2・新輯(1922年1930年1982年)をその代表作とする[11]

1931年7月、定年退官[10][12]、京都帝国大学名誉教授[8][10]。同年9月6日、胃病のため死去[13]

著書

編・校注

脚注

  1. ^ a b 小葉田淳 1993
  2. ^ 『官報』第1412号、昭和6年9月11日、p.289
  3. ^ 1909年10月18日授与(『官報』第7899号、明治42年10月21日、p.593.『官報』第7898号、明治42年10月20日、p.546.
  4. ^ 三浦 周行とは - コトバンク
  5. ^ a b c 署名なし 1931
  6. ^ 『帝国大学一覧 〔従明治24年至明治25年〕』帝国大学、1891年11月30日、321頁。NDLJP:813168/164 
  7. ^ 『史料編纂所一覧 昭和12年5月』東京帝国大学文学部史料編纂所、1937年、46頁。NDLJP:1220481/31 
  8. ^ a b 「三浦周行外一名帝国大学名誉教授ノ名称ヲ授クルノ件」『任免裁可書・昭和六年・任免巻四十九』”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 国立公文書館 (1931年7月18日). 2022年11月25日閲覧。
  9. ^ 「三浦周行外一名任官ノ件○三浦周行京都帝国大学文科大学教授ニ任官、京都府技手一井九平京都府技師ニ任官」『任免裁可書・明治四十二年・任免巻十二』”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 国立公文書館 (1909年5月25日). 2022年11月25日閲覧。
  10. ^ a b c 京都帝国大学文学部 編『京都帝国大学文学部三十周年史』1935年、260頁。NDLJP:1118809/149 
  11. ^ 日本史研究室の歩み(京都大学大学院文学研究科・文学部)(2017年2月5日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  12. ^ 「京都帝国大学教授三浦周行免官ノ件」『任免裁可書・昭和六年・任免巻四十八』”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 国立公文書館 (1931年7月18日). 2022年11月25日閲覧。
  13. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)26頁

参考資料