三佳令二

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三佳 令二(みよし れいじ、1928年(昭和3年)10月23日 - 2009年(平成21年)3月10日)は、日本作詞家音楽プロデューサー、有限会社ドーム音楽出版社代表取締役慶應義塾大学経済学部卒。東京都出身。本名は名和 治良(なわ はるよし)。

ファン・ソヌ(黄善雨)の作詞作曲した韓国の歌謡曲『釜山港へ帰れ』を日本語で作詞し、渥美二郎ジェロなどのさまざまな歌手によって歌われてきた。他にも『離別』、『大田ブルース』などの曲の歌詞日本語訳や、八代亜紀の『舟唄』、水原弘の『君こそわが命』の制作にも携わった[1]

2009年3月10日、原発不明癌により、80歳で大田区内の病院にて死亡した[1]。通夜にはたかたかし杉本眞人長良じゅん小西良太郎などの多くの音楽関係者が出席した[2]

出典

  1. ^ a b “三佳令二氏死去/作詞家”. 四国新聞. (2009年3月10日). http://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20090310000505 2010年1月3日閲覧。 
  2. ^ “三佳令二さん通夜 音楽関係者ら150人参列”. スポニチ. (2009年3月16日). オリジナルの2009年3月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090321105838/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2009/03/16/03.html 2010年1月3日閲覧。