一牛斎歓仲
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 1532年9月29日 |
死没 | 不詳 |
別名 | 一牛斎能得、太宰師法印、師法印歓仲 |
主君 | 豊臣秀吉 |
一牛斎歓仲(いちごさい よしなか、1532年9月29日-1598年)は、戦国時代から安土桃山時代の人物。豊臣秀吉の重臣。[1]
略歴
天正10年(1582年)姫路城の留守居を務めた[2]。天正12年(1584年)には寺沢広政、伊藤秀盛、蒔田久勝、石河光茂、小出秀政らとともに初代側近六人衆となる[3]。天正14年には太宰帥法印に叙任され河内若江郡などで蔵入代官を務めた後に高野山へ移る。大坂城に勤務し、大坂城城代も努めた。朝鮮出兵では水運業務や各大名の人質の受け入れを担当。晩年には播磨で代官を務めた。
人物
脚注
参考文献
- 小林清治 『秀吉権力の形成―書札礼・禁制・城郭政策―』(東京大学出版会、 1997年)19p
- 歴史人物辞典 一巻(1983、59p)
- 『大日本史料 11編之2』798p
- 『新・國史大年表 第4巻』(1456-1600p)