ヴィターリー・カネフスキー

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ヴィターリー・カネフスキー
Vitali Kanevsky
ヴィターリー・カネフスキー Vitali Kanevsky
ヴィターリー・カネフスキー
本名 Vitali Yevgenyevich Kanevsky
生年月日 (1935-09-04) 1935年9月4日(88歳)
出生地 パルチザンスク
 
受賞
カンヌ国際映画祭
審査員賞
1992年『ひとりでいきる』
カメラ・ドール
1990年動くな、死ね、甦れ!
ヨーロッパ映画賞
脚本賞
1990年動くな、死ね、甦れ!
その他の賞
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ヴィターリー・カネフスキー英語: Vitali Kanevskyロシア語: Виталий Евгеньевич Каневский1935年9月4日 - )はソ連パルチザンスク出身の映画監督。

略歴・人物[編集]

1935年9月4日、強制収容所のあった極東・沿海地方の炭鉱町スーチャン(現パルチザンスク)で育つ[1]。父親はオーケストラの指揮者であった。

1960年モスクワ全ロシア映画大学VGIK)に入学するが、在学中の1966年に無実の罪で投獄されてしまう。釈放されたのは1974年で、1977年には無事卒業してレニングラード(現サンクトペテルブルク)のレンフィルム撮影所に入り、短編映画の制作や助監督として働く。1981年に初めての長編作品『田舎の物語』を撮るが、望まない脚本を押し付けられた形であり、その結果全く評価されなかった。2作目を監督する目処が全く立たず、助監督や映画の端役などで生活していたという。

53歳の時、アレクセイ・ゲルマンに見出されてやっと撮ることが出来た長編2作目の自伝的作品『動くな、死ね、甦れ!』で1990年第43回カンヌ国際映画祭カメラ・ドールを受賞し、世界的に知られるようになる。また、1992年には『ひとりで生きる』で第45回の同映画祭審査員賞を受賞。『Kto Bolche』は1999年ロカルノ国際映画祭「現代の映画監督」部門で上映される。また、1998年にはビアリッツ国際映画祭で回顧上映が行われた。

フィルモグラフィー[編集]

[編集]

  1. ^ Internet Movie Databaseのカネフスキーのページでは「Suchany, Bryansk province, Soviet Union」(ソ連ブリャンスク州スーチャン)とされているが、「ブリャンスク州」はウクライナベラルーシとの国境にあり同州内に「スーチャン」という町も存在せず、さらに同州は沿海地方ではない。しかし「ブリャンスクで生まれ、極東のスーチャンで育った」との可能性も否定できないので「育つ」という表記を採用した。

外部リンク[編集]