リッカルド・フォッリ

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リッカルド・フォッリ
Riccardo Fogli
基本情報
生誕 (1947-10-21) 1947年10月21日(76歳)
出身地 イタリアの旗 イタリア
トスカーナ州ポンテデーラ
ジャンル カンツォーネロック
職業 シンガーソングライター
担当楽器 エレクトリックベース
活動期間 1966年~現在
レーベル Vedette, RCA Italiana, CBS, CGD, Paradiso
共同作業者 イ・プー
公式サイト http://www.riccardofogli.net/

リッカルド・フォッリ: Riccardo Fogli1947年10月21日 - )は、イタリア歌手トスカーナ州ポンテデーラで生まれた。「リカルド・フォッリ」と表記されることもある。

来歴[編集]

ジャンニ・モランディイタリア語版のような歌手に憧れ、ビート・バンドのスレンダーズで活動し、ミラノのクラブで演奏してる時、活動を始めたばかりのイ・プーと一緒になり、1966年7月、リード・ヴォーカルベーシストとしてイ・プーに加わった。[1]その年にはレコード・デビューを果たし、見た目の良さと優しく甘い歌声ですぐに注目を集め、アイドル的な存在となっていった。

グループが大きく飛躍したのはCBSシュガーのプロデューサー、ジャンカルロ・ルカリエッロとの出会いからで、1971年のアルバム「オペラ・プリマ」からは「Pensiero」「Tanta voglia di lei」の大ヒット曲が生まれた。イ・プーはまたたく間にイタリアで人気の頂点に立ったが、1972年の次作「ミラノの映像 (Alessandra)」を発表後、突然フォッリはイ・プーを脱退し、ソロ歌手に転じた。[2]それから数年間は低迷することとなったが、私生活では同じく歌手のパッティ・プラヴォイタリア語版と結婚し、ジャンカルロ・ルカリエッロと再び組んだ1976年のアルバム「世界 (Riccardo Fogli)」がヒット作となり、再浮上に成功した。

1982年にはサンレモ音楽祭で「過ぎ行く日々の物語 (Storie di tutti i giorni)」を歌い、優勝した。[3]

ディスコグラフィー[編集]

アルバム[編集]

EP[編集]

アルバム・カヴァー[編集]

ライヴ・アルバム[編集]

コレクション[編集]

シングル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ CD「オペラ・プリマ/イ・プー」解説
  2. ^ CD「世界/リッカルド・フォッリ」解説
  3. ^ CD「ロマン組曲/イ・プー」解説