リッカルド・カスタニョーネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。KasparBot (会話 | 投稿記録) による 2015年6月7日 (日) 13:41個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Normdaten moved to wikidata)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

リッカルド・カスタニョーネRiccardo Castagnone1906年9月10日 - 1983年2月20日[1]は、イタリアピアノ奏者作曲家[2]

ブルナーテの生まれ[3]

ミラノジュゼッペ・ヴェルディ音楽院で、ジュゼッペ・フルガッタにピアノ、ジュリオ・チェーザレ・パリベーニに作曲ヘルマン・シェルヘン指揮法を教わる。1931年からチェロ奏者のマックス・アムフィテアトロフのピアノ伴奏者としてイタリア各地を回り、1946年までデュオとして活動した。1934年から1937年まではヴァイオリン奏者のエンリコ・ピエランジェリを加えて三重奏団を結成していた。1937年から1953年までナポリサン・ピエトロ・ア・マジェラ音楽院で教鞭をとり、1954年からは母校の教授となった。1956年からは、ヴィルトゥオージ・ディ・ローマにチェンバロ奏者として加わった。アルテュール・グリュミオーの室内楽録音のパートナーを務めていたこともある[4]

ミラノにて没。

  1. ^ Treccani.it
  2. ^ [1]
  3. ^ [2]
  4. ^ Tower.jp