ラジオ技術

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ラジオ技術は、アイエー出版が発売元となりインプレスが刊行するオーディオマニア向けの雑誌誌である。創刊時はラジオ受信機を主としたエレクトロニクス(電子技術・工学)を扱う雑誌であったが、1950年代半ばから高級オーディオや自作アンプを中心とする内容に変わっていった。広告収入の減少や、読者の高齢化を理由とした販売部数の低下による赤字経営が続いていることや、編集長の視力悪化のため、2022年7・8月合併号から隔月刊行となった[1]

概要

1947年4月のラジオ技術社の設立とともに創刊された。創刊当初は科学社から刊行されていたが、8巻5号から47巻11号まではラジオ技術社から刊行された。47巻12号から54巻4号までは商号変更によりインプレス販売、54巻5号から68巻7号までは商号変更によりインプレスコミュニケーションズから刊行されていた。しかしインプレスジャパン(現 インプレス)との合併に伴い、68巻8号以降は発売元がアイエー出版、発行元がインプレスになっている。

内容の変遷

戦前のラジオ受信機は受信電波をそのまま検波する「並3」「並4」「高1」という再生回路方式だったが、戦後は受信電波を一旦一定値の中間周波数に変換して増幅することで高感度・高安定度を実現する「スーパーヘテロダイン」方式の受信機が採用された。これら受信機の多くはアマチュアがアルバイト製作して頒布していた。そうした背景からその技術情報記事が強く求められ、同紙は当初ラジオの受信機関係の記事を主体としていた。更に、それら受信機にSPレコード再生機能を付加して改良した「電気蓄音機(通称「電蓄」)」が登場、同紙にも今で言う「真空管オーディオ」関係の様々な記事が掲載されるようになった。

続いてテレビ試験放送開始に合わせてその各部回路の解説・調整記事が長期に続いて、テレビ技術も追求するなど、電子回路各分野の記事を掲載。また、そこからのスピンアウトとして、真空管アンプ設計製作やテレビ技術教科書、カラーテレビ技術教科書、電卓技術教科書といった実用専門書籍を刊行、これらは長らく中古本でも流通し、中には支持を集めて復刻されたものもあった。

セットの自作が下火となって読者も減少した頃[いつ?]、新雑誌である「aVle」を創刊して、オーディオ・ビジュアル関係の記事は全てそちらに移行し、純粋なオーディオのみを扱うようになる。だが同紙は早々に[いつ?]休刊となった。

無線ないしエレクトロニクスの製作記事を中心とした「初歩のラジオ」や「ラジオの製作」等の雑誌は休刊したが、本誌や『無線と実験』(現『MJ』)誌は、タイトルにあるようなラジオや無線の記事の全く無い「オーディオ誌」としてオーディオマニア向けに刊行を続けている。

ラジオ技術誌創刊当時の日本の電子産業界はいわばコピー文化時代で、国策としてラジオ普及が進められて並三、並四、高一など雛形が公表されると製造各社やアマチュアがそれを製作して普及していたし、戦後の5球スーパー・ラジオも各社同一回路、海外有名製品を若干焼き直した製品が主であり、現在の中国のコピー製品横行と似通った状況があった。昭和40年代までは国産オシロスコープの修理に米国オリジナル製品の英文マニュアルを入手して使っていたくらいである。ラジオ製作が長らくアマチュアのアルバイトとして成り立っていたが、三洋電機が部品代総和より安価なラジオを発売し競合他社もそれを追ったことで一般向けラジオのアマチュア製品時代は終焉。

そうした背景で第二次世界大戦終戦からしばらくの間は、新技術開発が製造各社ではなく、個人技術者や先進的アマチュアが担っていた時代が続いて、ラジオ技術創刊からこの雑誌に様々レポートしていたことから、アナログ時代の新技術の発祥の雑誌となっていて、時折、項目毎に単行本化された「教科書」は、今も復刻本で売れるほどの技術的内容がしっかりしたものがあった。

当時は戦前からの老舗雑誌「無線と実験」が無線通信・放送受信関係だったのに対して、新分野の「電蓄(=電気蓄音機)」、高忠実度再生関係で各種真空管アンプ、各種スピーカ、スピーカーボックス、ホーンスピーカー、負帰還増幅技術NFB、モーショナル・フィードバックMFB、OTLアンプによるウーファー駆動、SEPP/SRPP方式アンプ、磁気録音機と高周波バイアス録音方式、AMステレオ放送受信・ステレオセット、テレビ製作・調整、カラーテレビ等々と設計・製作・調整技術の先端に居た輝かしい雑誌だった。単行本化された「○○技術教科書」シリーズは、真空管の時代の本がトランシスタ時代にも通用する基本を押さえたものがあった。高周波バイアス磁気録音方式の発見は、高忠実度負帰還アンプが超高域発振を起こしていたことに気付かずテープ録音の実験をして驚くほどの高品質録音となったことから原因究明して製品化されたもので、ラジオ技術誌常連筆者発祥のものである。テレビ技術の追求も「『テレビ技術』と名前を変えろ」と揶揄されるほど徹底、教科書シリーズの単行本を複数出している。

メーカーも時折レポートを出したり回路図公開していて、松下が「ブリッジ方式MFBアンプ」開発などをレポートしていた。それは後年、制御原理が同一の「ブリッジ方式電子ガバナー」として一時ラジカセ用モータに採用されていた。

その定評あった技術雑誌が凋落していわゆる「オーヲタ誌」(オーディオ・オタク誌)となったのは、自作アマチュアの時代ではなくなった世の中の大きな流れはあり、当初のマイコンCPUの選択を汎用性の大きいインテル、モトローラ、ザイログではなく、ユーザーの少ない制御用機種を選んでしまったり、トランシスタ化に若干乗り遅れたりはあって「トランジスタ技術」誌などに追従・逆転を許したが、決定的になったのは、アンプの音の良さの評価について「計測値か?聴感か?」「真空管アンプか?半導体アンプか?」というセンセーショナルで不合理な対決を煽って、最初に製品化されたトリオkk製トランジスタ・オーディオアンプの性能不足がオーディオファンに知れ渡ったこともあって、結果的に「半導体アンプは音が硬い」などの俗評に与し、創刊以来同誌を支えてきた強い技術志向の読者に見放されてしまったからだろう。

本来であれば、どういう特性を管理すれば聴感が満足できるかという技術的追求をすべきところを、感覚的・狂信的オーヲタの激しい反応と、それに直結する怪しげな製品市場を優先させて、ご託宣が罷り通る一種信仰の世界化したことで、技術志向の本来の同誌の読者を追い出してしまって結局現在は真空管アンプ信仰のオーヲタだけが残り、優れた真空管アンプ書籍の遺産で存在している。

「音が硬い」などの俗説は、技術側からは読者自身も含む様々な比較実験と残る弱点の改良で早期に逆転・否定されていたのだから、技術志向読者は同誌(及び競合他誌)を卒業してしまい残らなかった。

いま一部で囃されている真空管アンプはラジオ技術誌での当時の完成形が多く含まれており、その音は悪いはずがなく、ほのぼの点る真空管ヒーターの風情は棄てがたいものがあるが、純技術的には、それが良く設計された半導体アンプを否定するものにはならない。

脚注

  1. ^ @RADIOGIJUTSU (2022年6月6日). "【おしらせ】". X(旧Twitter)より2022年7月16日閲覧

外部リンク