マヌエル・パラウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2020年10月17日 (土) 12:59; Zazanasawa (会話 | 投稿記録) による版 (→‎文献)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

マヌエル・パラウ(Manuel Palau Boix、1893年1月4日 - 1967年2月18日)は、スペイン作曲家

アルファラ・デル・パトリアルカ出身。1914年からバレンシア音楽院ピアノソルフェージュ作曲を学び、1915年にはバレンシアに立ち寄ったエンリケ・グラナドスから教えを受けた。1919年に卒業し、1922年から1927年までバレンシア文化局の音楽評論家の職に就いた。その後、パリ国立高等音楽・舞踊学校に留学して和声対位法シャルル・ケクランに師事し、またモーリス・ラヴェルからも助言を受けた。

帰国後はバレンシア音楽院で後進の指導にあたり、1951年には院長に任命されるなど、バレンシア州の後の世代の作曲家に大きな影響を与えた。

文献[編集]

  • Blas Galende: Vida y obra del compositor y musicólogo Manuel Palau Boix, in: Levante, Valencia, 16. September 1948