マウリツィオ・ザンパリーニ

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マウリツィオ・ザンパリーニ

マウリツィオ・ザンパリーニMaurizio Zamparini1941年6月9日 - )は、イタリアウーディネ県バニャーリア・アルサ出身の実業家、サッカーセリエAに所属するUSチッタ・ディ・パレルモの会長(2002年 - 現在)。短気で監督交代の多いことで有名である。

経歴

ザンパリーニはイタリア最大規模のスーパーマーケット・チェーン、エンメゼータ(Emmezeta)、エンメルンガのオーナーとして成功を収める。彼のチェーン拡大手法は独特なもので、出店する地域のサッカークラブ買収により、チェーンの宣伝を行なった。後に経営権を売却し、莫大な財産を築く。

1987年セリエC2に所属していたSSCヴェネツィアを買収し、セリエA昇格を目指して資金投入を開始。ワルテル・ノヴェッリーノ監督などの下でセリエA昇格に成功するものの、なかなかセリエA定着は出来なかった。加えて、ザンパリーニは新スタジアム建設を試みるが、観光地としての概観を損なう事もあって許可は下りず、ザンパリーニは別のクラブチームのオーナーになる事を決意する。

2002年夏、当時のASローマ会長フランコ・センシよりセリエBに所属していたパレルモの所有権を譲渡され、パレルモをセリエAの強豪に育てるべく支援を開始し、最初にヴェネツィアから選手と監督を引き抜く。2002-03シーズンはネド・ソネッティの下でセリエB5位となるも、昇格には失敗。

2003-04シーズンはシルヴィオ・バルディーニフランチェスコ・グイドリンと監督をすげかえた末、ルカ・トーニエウジェニオ・コリーニらの補強成功とグイドリンの好采配もあり、セリエA昇格を果たす。グイドリンは2004-05シーズンもクラブを躍進に導き、昇格1年目にして6位という好成績を残す。ところが、ザンパリーニはグイドリンの戦術を守備的と批判し、シーズン終了後にルイジ・デルネーリを新監督に招聘。デルネーリが結果を残せないとジュゼッペ・パパドプーロを後任に据えるも、8位に終わる。(後にカルチョ・スキャンダルにより順位は5位へ繰り上がる)

2006-07シーズンは再びグイドリンを監督に呼び戻し、カルチョ・スキャンダルによりセリエAの勢力関係が変容する中で、UEFAチャンピオンズリーグ出場権(4位以内)獲得を目指し、チームは躍進したが、徐々に失速。グイドリンを途中解任・復任させるなど混乱も目立ち、惜しくも5位に終わった。

2007-08シーズンはアタランタBCよりステファノ・コラントゥオーノを招聘するが、ユヴェントス戦大敗を受けて2007年11月に解任、グイドリンを呼び戻す。グイドリンもチームを立て直す事は出来ず、コラントゥオーノを復任させ、チームは11位と低迷してしまった。

2008-09シーズンはコラントゥオーノをわずか1試合で解任、後任にダヴィデ・バッラルディーニを招聘している。バッラルディーニも1シーズンで退任し、ワルター・ゼンガが2009-10シーズンより監督となる。ゼンガを解任すると、デリオ・ロッシを招聘。

2010-11シーズンはロッシを2011年2月27日に解任、後任にセルセ・コズミを招聘。しかし4試合で1勝3敗と結果を残せず、4月3日に解任、ロッシを復任させ、チームは8位に終わった。

2011-12シーズンはACキエーヴォ・ヴェローナよりステファノ・ピオリを招聘するが、シーズン開幕前の8月31日に解任、後任にデーヴィス・マンジャを急遽トップチーム監督に招聘。しかし12月19日に解任、後任にボルトロ・ムッティを招聘。その後も成績が上がらず、セリエA昇格後最低の16位に終わる。シーズン終了後ムッティは退任。

2012-13シーズンは前ACシエナ監督のジュゼッペ・サンニーノを招聘。しかし、開幕3戦を未勝利で終えると9月16日に解任し、ジャン・ピエロ・ガスペリーニを後任に招聘した。なお、これがザンパリーニの25年に及ぶサッカー界のキャリアで通算50回目の解任劇であった[1]

2013-14シーズンはACミランイタリア代表で活躍した闘将ジェンナーロ・ガットゥーゾを招聘。しかし6試合で2勝1分3敗と結果を残せず、9月25日に解任し[2]、後任にザンパリーニのヴェネツィア時代の同僚であるジュゼッペ・イアキーニを後任に招聘した。

評価

パレルモがセリエA屈指の強豪として成長する事が出来たのはザンパリーニの功績であり、セリエAを活性化させた。また、ザンパリーニは歯に衣着せぬ発言でカルチョ・スキャンダルなどサッカー界の腐敗への怒りを表明している人物である。選手の売却上手でもあり、トーニやアマウリなどを高額で売却して利益を得ている。スポーツディレクター(SD)の人選も的確で、リーノ・フォスキ2002年 - 2008年)、ワルテル・サバティーニ(2008年 - 2010年)と敏腕SDの活躍が、人材の発掘を正確なものにしている。

一方で、チャンピオンズリーグ出場権獲得を目指すとしながら監督をあまりに短期間で交替させ、チームを混乱させているとの批判もある。グイドリンはザンパリーニにより4回の招聘と解任を経験している。

脚注

  1. ^ パレルモ、3試合で監督解任 後任はガスペリーニ”. Goal.com (2012年9月17日). 2012年9月17日閲覧。
  2. ^ パレルモがガットゥーゾ解任、後任はイアキーニ”. Goal.com (2013年9月25日). 2013年9月25日閲覧。