ベルゴロド公国

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ベルゴロド公国の位置
・キエフとその分領公国
K:キエフ大公国 / キエフ公国
VI:ヴィシゴロド公国 VE:ベルゴロド公国
O:オーヴルチ公国
・周辺の主な公国
T:トゥーロフ公国  P:ペレヤスラヴリ公国
C:チェルニゴフ公国

ポイントは公国の首都の位置のみを示す。国境線は2014年現在。

ベルゴロド公国ロシア語: Белгородское княжество)はキエフ・ルーシ期の分領公国である。首都はベルゴロド(ベルゴロド・キエフスキーとも。現ビロホロードカ[1])に置かれ、12 - 13世紀の間存在していた。

991年、キエフ大公ウラジーミル(ウラジーミル・スヴャトイ)はイルピニ川沿いに要塞を建設し、これをベルゴロドと名づけた。ベルゴロドならびにベルゴロド公国は、南方の遊牧民からキエフを守る防衛拠点であり、ベルゴロド公国に独立性は与えられなかった。また、キエフならびにキエフ大公位をめぐる闘争が発生した際には、ベルゴロドはキエフ大公の退避場所となっていた。キエフ大公の兼任ではないベルゴロド公としては、たとえば1117年に、キエフ大公ウラジーミル(ウラジーミル・モノマフ)に配備された、モノマフの長男ムスチスラフ(ムスチスラフ・ヴェリーキー)などが挙げられる[1]

1240年にモンゴルのルーシ侵攻によってベルゴロドが破壊された後は、ルーシの年代記(レートピシ)上にベルゴロド公に関する言及はみられない。

出典

  1. ^ a b Белгородское княжество // Все монархии мира

関連項目