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ベアトリス・デ・カスティーリャ・イ・グスマン

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ベアトリス・デ・カスティーリャ
ベアトリス・デ・カスティーリャ

ベアトリス・デ・カスティーリャ・イ・グスマン(西Beatriz de Castilla y Guzmán, Beatriz de Gusmão e Castela, 1242年 - 1303年10月27日)は、ポルトガルアフォンソ3世の2番目の王妃。カスティーリャアルフォンソ10世と愛人マヨル・ギリェン・デ・グスマン(Mayor Guillén de Guzmán)の間の庶子である。なお、異母弟サンチョ4世同名の王女(姪に当たる)が、アフォンソ3世とベアトリスの孫アフォンソ4世の王妃となっている。

1253年、アフォンソ3世は最初の妃ブローニュ女伯マティルド・ド・ダンマルタンと離婚し、代わってこの年11歳のベアトリスと結婚した。すでに高齢であったマティルドとの間に子供がなかったのが、離婚と再婚の理由と見られている。ベアトリスはアフォンソ3世との間に4男4女をもうけた。

  • ブランカ(1259年 - 1321年)
  • フェルナンド(1260年 - 1262年)
  • ディニス(1261年 - 1325年)
  • アフォンソ(1263年 - 1312年)
  • サンシャ(1264年 - 1302年頃)
  • マリア(1264年 - 1304年)
  • コンスタンサ(1266年 - 1271年)
  • ヴィセンテ(1268年 - 1271年)

息子ディニス王の治世の1303年に死去した。