ヘットナー石

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。そらみみ (会話 | 投稿記録) による 2022年8月30日 (火) 05:29個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (内部リンク・カテゴリ追加)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ヘットナー石(ヘットナーいし)とは、ドイツ地理学者アルフレート・ヘットナー長野県で発見した擦痕を残す両雲母花崗岩の巨石である。ヘットナーは1913年大正2年)にこれを梓川流域の稲核橋付近で発見した。

1914年(大正3年)、山崎直方はこれを『地質学雑誌』にてヘットナー石と命名、これを発表した。ヘットナー石は長さ3m、高さ及び幅は1.8mの角ばった岩石で、多くの擦痕を有していた。山崎は氷食による擦痕と考え、カール地形とあわせ、日本にも氷河が存在したと推論した。

それまで、日本に氷河は存在しなかったものと考えられていた。この推論は、日本地学史において、最初の氷河論争のきっかけとなった。

なお、1914年(大正3年)に加藤鉄之助は、ヘットナー石の産地は花崗岩の分布より鉢盛山であり、そこは標高が低く氷河地形も見られないことなどから、ヘットナー石の氷食説を否定、氷河論争は終結へと向かった。

関連項目

参考文献

  • 山崎直方「飛騨山脈に於ける氷河作用に就いて」『地質學雜誌』第21巻第245号、日本地質学会、1914年、51-61頁、ISSN 00167630 
  • 加藤鉄之助「ヘットナー石に對する疑義」『地質學雜誌』第21巻第253号、日本地質学会、1914年、417-421頁、ISSN 00167630 

外部リンク