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ブルガリア正教会の七聖人

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七聖人
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ソフィアの七聖人教会の七聖人のモザイク

ブルガリア正教会の七聖人(ブルガリアせいきょうかいの しちせいじん、ブルガリア語: Седмочисленици[1], свети[2] Седмочисленици[3])は、グラゴル文字キリル文字の作成者および普及者としてブルガリア正教会と他の正教会で崇敬されている7人の聖人である。7人は9世紀から10世紀初頭にかけて活動した。

七聖人は、グラゴル文字を作成したキュリロス(Кирил〈キリル〉)と兄メトディオス(Методий〈メトディー〉)および彼らの5人の弟子であるゴラズドブルガリア語版(Горазд)、ナウムブルガリア語版(Наум)、クリメント(Климент)、アンゲラリオスブルガリア語版(Ангеларий〈アンゲラリー〉)、サヴァブルガリア語版(Сава)である[3]。彼らの仕事は、ブルガリアの君主である父子ボリス1世シメオン大帝による支援があったことにより成功した[4][5]

クリメントはブルガリアにおいてギリシア語ラテン語ではなくスラヴ語キリスト教の礼拝と説教および著述活動を行った最初の聖職者[6][7]、「スラヴ文学の父」の一人とされる[8]

ゴラズド(830年頃 - 890年頃)は、ブルガリアの教会でスラブ語訳の聖書や典礼書の使用の定着に努力した[9]

ナウムはプリスカと北東ブルガリアで活動した後、主教に任命されたクリメントの後継者としてオフリドで教師を務め、オフリド湖畔に開いた修道院を活動拠点とし、910年に死去した[5]

メトディオスの弟子でプレスラフブルガリア語版で活動した主教プレスラフのコンスタンティンブルガリア語版[10]列聖されていないため七聖人には含まれない[11]

ロシア正教会では、キュリロスとメトディオスは別に祝われ、彼らの弟子たちは亜使徒として認められている。ブルガリア正教会は7月27日をクリメントの被昇天の日と七聖人の日に決定した。

脚注[編集]

  1. ^ седмочисленици Klett Bulgaria, PONS. 2021年5月22日閲覧。
  2. ^ свети Klett Bulgaria, PONS. 2021年5月22日閲覧。
  3. ^ a b "Св. Климент Охридски(オフリドの聖クリメント)" Българска Православна Църква(ブルガリア正教会) - Българска Патриаршия(ブルガリア総主教)。2021年5月21日閲覧。
  4. ^ Sette santi della Chiesa ortodossa bulgara in spagnolo sulla pagina della Radio nazionale bulgara”. 2020年5月12日閲覧。
  5. ^ a b 『世界の教科書=歴史 27:ブルガリア 1』ほるぷ出版、1985年、56頁。ISBN 4593532272
  6. ^ The Holy Equal-to-the-Apostles: Clement – Bishop of Okhrid, Naum, Savva, Gorazd and Angelyar”. translator Fr. S. Janos. 2021年6月15日閲覧。
  7. ^ St. Clement the Bishop of Ochrid and Enlightener of the Bulgarians The Orthodox Church in America. 2021年6月15日閲覧。
  8. ^ 塩田睦 (1986). "クリメント(オフリドの)". キリスト教人名辞典. 日本基督教団出版局. p. 491.
  9. ^ 藤原一二三 (1986). "ゴラズド". キリスト教人名辞典. 日本基督教団出版局. p. 592.
  10. ^ 『世界の教科書=歴史 27:ブルガリア 1』ほるぷ出版、1985年、62頁。
  11. ^ Свети Седмочисленици”. Pravoslavieto.com. 2019年10月31日閲覧。