パプアニューギニアの総督

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パプアニューギニアの総督(Governor-General of Papua New Guinea)は、パプアニューギニア国家元首代理トク・ピシンでは'Missis Kwin'と呼ばれる。英連邦王国としてのパプアニューギニア国王イギリス国王)の代理である総督となっている。

概要

パプアニューギニアが独立した1975年から置かれている。総督の選出は国会の指名投票に基づき、国王が任命する。総督が空席の場合は国会議長が代行する。総督は国会により罷免される場合が有るが、今のところ、そのようなケースは無い。ただし、第5代総督のセレイ・エリは、当時のパプアニューギニアの首相ラビー・ナマリウの意向を受けた女王の指示により辞職している。

氏名 任期 国王 備考
1 サー・ジョン・ガイズ(Sir John Guise) 1975年9月6日 – 1977年3月1日 エリザベス2世
2 サー・トレ・ロコロコ(Sir Tore Lokoloko) 1977年3月1日 – 1983年3月1日
3 サー・キングスフォード・ディベラ(Sir Kingsford Dibela) 1983年3月1日 – 1989年3月1日
4 サー・イグナティウス・キラゲ(Sir Ignatius Kilage) 1989年3月1日 – 1989年12月31日 任期中に死去
5 サー・セレイ・エリ(Sir Serei Eri) 1990年2月27日 – 1991年10月4日 女王の指示により辞職
デニス・ヤング(Dennis Young) 1991年10月4日 – 1991年11月18日
6 サー・ウィワ・コロウィ(Sir Wiwa Korowi) 1991年11月18日 – 1997年11月20日
7 サー・サイラス・アトパレ(Sir Silas Atopare) 1997年11月20日 – 2003年11月20日
サー・ウイリアム・スケート(Sir William Skate) 2003年11月21日 – 2004年5月28日 国会議長として総督代行、スキャンダルによる議長交代により総督辞職
ジェフェリー・ネイプ(Jeffrey Nape) 2004年5月28日 – 2004年6月29日 国会議長として総督代行
8 サー・ポーリアス・マタネ(Sir Paulias Matane) 2004年6月29日— 2004年5月27日に国会で選出