バイエルン (戦艦)

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バイエルン
艦歴
発注
起工 1914年1月
進水 1915年2月18日
就役 1916年6月30日
除籍 1919年6月21日自沈
その後 1935年解体処分
性能諸元
排水量 常備:28,074トン
全長 179.4m
全幅 30.0m
吃水 9.31m
機関 パーソンズ式タービン3基
ソーニクロフト式14缶
48,000馬力
最大速 22ノット
兵員 1,171名
兵装 38.0cm砲連装4基
15.0cm砲単装砲16門
7.5cm単装砲20基
8.8cm高角砲8門
水中魚雷発射管5門

バイエルン (SMS Bayern) は、ドイツ帝国海軍戦艦で、バイエルン級の一番艦である。名前の由来はバイエルン王国であり、同名を冠した艦としては二代目である(初代1878年進水の装甲艦)。

概要

1915年2月18日ホヴァルトヴェルケキール造船所で進水した。同型艦にバーデンザクセンヴュルテンベルクがあるが、完成したのはバーデンのみであった。 公試の終了が四ヶ月遅れた為ユトランド沖海戦には間に合わず1916年7月15日ヴィルヘルムスハーフェンの艦隊に編入される。

艦歴

本艦はまずケーニヒ級戦艦マルクグラーフグローサー・クルフュルストと偵察部隊を編成、何度か小規模の行動を行なった後、エーゼル島などの占領を目的としたアルビオン作戦に参加した。1917年10月12日エーゼル島への最初の上陸時、バイエルンは島北部のPamerortへの上陸を支援することになっていた。なお、上陸部隊の大半はPamerortより西のTagga湾へ上陸した。砲撃場所への移動中にバイエルンは触雷したが、バイエルンはロシア軍の砲台への砲撃を行い上陸を援護した。同日午後、同じく損傷したグローサー・クルフュルストなどと共にエーゼル島を離れキールへ向かったが、途中で状態が悪化したバイエルンはTagga湾へと引き返した。結局、キールに戻れたのは19日後であった。損傷は11月3日から12月27日にかけて修理され、魚雷発射管は5門から1門に減じられ、高角砲4門を追加した。

未完成に終わったマッケンゼン級に替わってスカパ・フロー抑留艦に指定され回航され、1919年6月21日に他の抑留艦と共に自沈した。1934年に浮揚、1935年ロサイスen:Rosyth)で解体された。

外部リンク