ニーシャープール鉄道事故
ニーシャープール鉄道事故(ニーシャープールてつどうじこ)とは2004年2月18日にイランのニーシャープール付近のハイヤームという村で発生した鉄道事故である。この事故では、深夜に暴走した貨車が村に突入して爆発、300人以上が死亡し村全体が破壊された。
事故の経過
脱線
事故の発端はニーシャープール市のアブー・ムスリム駅の側線に停車中の硫黄や肥料、石油、原綿を積載した51両の貨車が暴走したことである。貨車は線路を約20km下って脱線、ハイヤームの町へ向かって築堤から転落した。衝突時、逸走した貨車を制御している者はなく、乗っている者もいなかったが、近隣の町から到着したレスキュー隊は車両に閉じ込められている者が存在する場合に備えて被害者の救助に当たり、また残骸から発生した小規模な火災の消火のための活動を実施した。
化学物質の漏出
事故によって貨車から漏出した積荷はすべて非常に爆発性の高い物質、または非常に燃えやすい物質でありながら、事故以前にはイランの鉄道当局によって「危険物」に分類されていなかった。小規模な火災が延焼を続けるなか、数人の地元の政治家や鉄道の上級職員を含む地元の人々の大群衆が救助作業を見ようと集まった。
爆発
撤去作業の最中、貨車の積荷が爆発した。伝えられるところによれば、この爆発の規模はTNT換算で180トンに相当するものであった。爆発によりハイヤームは壊滅し近くの町のエイシャーバード、デフノウ、タギーアーバードも大きな被害を受けた。爆発は70km離れたマシュハドの町でも感じることができた。爆発により村全体が破壊され、地元のレスキュー隊や政府職員全員が死亡、または重傷を負った。凍えるほど寒い天候にもかかわらず、列車の残骸や村は数日間にわたって燃え続け、爆発を起こし続けた。
死者数
政府当局は182人の救助隊員や政府職員を含む、295人の死亡と460人以上の負傷を確認した。
イスラム革命防衛隊
爆発の後、負傷者や閉じ込められた人、行方不明者、死者の捜索のために数百人規模のレスキュー隊が現場に集まるなか、イスラム革命防衛隊の部隊が召集され、治安維持活動にあたった[要出典]。爆発に巻き込まれた4つの村は後に「完全に破壊された」と評価された[要出典]。
原因
初期のレポートは「微震 ("earth tremors")」により貨車が暴走を始めたとしたが、これは後に否定されている。徹底的な調査が行われたにもかかわらず、これまでに貨車がニーシャープールからハイヤームまで無人で逸走した正確な原因や、大量の非常に可燃性の高い積荷が一度に運搬されることになった経緯、また、早期に発見されていれば沿線住民の速やかな避難のための時間的な余裕を生むことにつながったであろう事故の詳細な原因が見いだされなかった理由などの解明には至っていない。事故直後に公表されたイランの運輸大臣のアフマド・ホッラムの声明によると、この災害は自然要因によって発生したものではなく、事故車両を逸走させた原因が停車中の車両の操車を許された鉄道職員の無能力によるものか、あるいは悪意によって発生させられたものであるかを判断するための調査が進行中であるとの報告があったとされた。
関連項目
- ラック・メガンティック鉄道事故 - 2013年にカナダ中心部の町で燃料輸送列車が脱線し出火・爆発した事故。
- ヴィアレッジョ鉄道事故 - 2009年に燃料輸送列車がイタリア中心部のヴィアレッジョで脱線し爆発・炎上し32人が死亡した事故。
- ソーハム鉄道事故 - 1944年にイングランド・ソーハム付近でアルミニウムを積載した列車が火災を起こし爆発した事故。