1990年ドイツ民主共和国人民議会選挙
ドイツ民主共和国人民議会1990年選挙(ドイツみんしゅきょうわこく じんみんぎかい 1990ねん せんきょ)は、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の立法府であった人民議会の議員を選出するために1990年3月に行われた選挙である。
概要
前年1989年の東ドイツの民主化、そしてベルリンの壁崩壊で、社会主義統一党 (SED) の一党独裁体制が崩壊し、新たな政府を発足させるために行われた選挙で、同年10月に東西ドイツが再統一されたため、東ドイツにとっては最初で最後の自由選挙となった(それ以前の選挙は、予め議席数の決まったリストに賛否を問うものでしかなかった)。
選挙データ
- 人民議会定数 - 400議席
- 選挙制度(2月20日に採択された新選挙法に基づく) - 比例代表制
- 議席阻止条項はなし
- 東ドイツの行政単位である県に即して15選挙区に分割
- 得票は全国レベルで集票して各党に比例配分(ニーマイアー式による議席配分)
- 次に各選挙区に選挙区毎の得票数に応じて、配分される。
- 政党への助成 - 有効得票総数の 0.25% を得た政党には、1票につき5マルクが国庫補助金として支給される。
選挙結果
- 投票日 - 1990年3月18日
- 有権者数 - 12,426,443名
- 投票者数 - 11,604,418名(投票率 93.38%)
- 有効票数 - 11,541,155票
党派 | 得票数 | 得票率 (%) | 議席数 | |
---|---|---|---|---|
ドイツ連合[1] (Allianz für Deutschland) |
キリスト教民主同盟 (CDU) | 4,710,598 | 40.82 | 163 |
ドイツ社会同盟 (DSU) | 727,730 | 6.31 | 25 | |
民主主義の出発 (DA) | 106,146 | 0.92 | 4 | |
計 | 5,544,474 | 48.04 | 192 | |
東ドイツ社会民主党 (SPD)[2] | 2,525,534 | 21.88 | 88 | |
民主社会党[3](PDS) | 1,892,381 | 16.40 | 66 | |
自由民主同盟 (Bund Freie Demokratie)[4] |
608,935 | 5.28 | 21 | |
同盟90[5] | 336,074 | 2.91 | 12 | |
ドイツ民主農民党 (DBD) | 251,226 | 2.18 | 9 | |
東ドイツ緑の党/独立婦人同盟 | 226,932 | 1.97 | 8 | |
ドイツ国民民主党 (NDPD) | 44,292 | 0.38 | 2 | |
ドイツ民主婦人同盟 (DFV) | 38,192 | 0.33 | 1 | |
左翼連合 (VK) | 20,342 | 0.18 | 1 | |
合計 | 400 |
出典:山田徹著『東ドイツ・体制崩壊の政治過程』(日本評論社)380頁、表12-1「選挙結果:各党の得票・議席数」より引用。政党名については一部改変した。
脚注
- ^ 社会主義体制時代の衛星政党であるドイツキリスト教民主同盟(西ドイツの同名政党とは別団体)などが、西ドイツのドイツキリスト教民主同盟の支援を受けた連盟。
- ^ 第二次世界大戦直後の旧ソ連占領地区ではドイツ社会民主党はドイツ共産党と半強制的に合併させられドイツ社会主義統一党となっていたが、西ドイツのドイツ社会民主党の支援を受けて再建された。
- ^ ドイツ社会主義統一党が、ごく短期間は社会主義統一民主社会党(SED-PDS)を名乗ったのち、選挙前に再改名したもの。統一後、2007年に左翼党となる。
- ^ 社会主義体制時代の衛星政党であるドイツ自由民主党(1990年2月に LDPD を LDP に改めた)と東ドイツ自由民主党 (F.D.R der DDR) およびドイツ・フォーラム党(DFP)の3党で結成された選挙連合。
- ^ 市民団体・新フォーラム、民主主義を今、平和と人権イニシアティヴの連合体。1993年に旧西ドイツ側の緑の党と統合し、同盟90/緑の党となっている。
関連項目
- ザビーネ・ベルクマン=ポール-自由選挙実施後からドイツ再統一まで期間、東ドイツの国家元首(人民議会議長)を務めた女性政治家。
- ロタール・デメジエール-東ドイツ最後の閣僚評議会議長(首相)を勤めた。