タンギー爺さん

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タンギー爺さん、1887年夏頃、92×75cm、ロダン美術館
タンギー爺さん、1887年冬頃、65×51cm

タンギー爺さん(たんぎーじいさん、: Le Pere Tanguy: Portrait of Pere Tanguy)は、1887年夏頃及び冬頃にオランダ画家フィンセント・ファン・ゴッホによって描かれた油彩絵画。ほぼ同構図の絵が2点存在する。この他にタンギーを描いた肖像画1点を含めて、タンギー爺さんは3点あると表記されることがある。

1887年夏頃に描かれたとされる作品はオーギュスト・ロダンのコレクションとなり、現在はパリのロダン美術館所蔵。

1887年冬頃(1888年に入っているとする説もある)に描かれたとされる作品はスタブロス・ニアルコスのコレクションとされるが、現在は明らかにされていない。

両作品の制作順について、画集などではロダン美術館蔵のもののほうが先とするものがある。一方、静岡県立美術館ロダン館の解説ではロダン美術館蔵のもののほうが後であるとしている。

背景には浮世絵が描かれており、ジャポニスムが最も良く表れた作品である。

背景に描かれている浮世絵文京区千駄木にある店「いせ辰」の版画が基になっている。

ロダン美術館の作品は、2001年の「ロダンと日本」展(静岡県立美術館、愛知県美術館)に出品され、その図録に浮世絵との関連が詳しく説明されている。

背景の浮世絵

モデル

モデルとなったジュリアン・フランソワ・タンギー(Julienne François Tanguy、1825年-1894年)は、パリで画材屋兼画商を営んでいた。タンギーの小さな店には印象派後期印象派の無名画家が出入りをし、ゴッホも自分の絵画で画材の代金の支払いをしていたという。また、ゴッホの死後も彼の絵を展示していたという。

関連項目

外部リンク

山口県立萩美術館のタンギー爺さんの解説