タラソナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Xapones (会話 | 投稿記録) による 2011年11月11日 (金) 18:36個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Template:基礎情報 スペインの自治体をTemplate:基礎情報 スペインの自治体2に差し替え、位置画像を追加)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

Tarazona

  


 アラゴン州
 サラゴサ県
面積 244km² km²
標高 480mm
人口 10,991人(2,007年) 人 ()
人口密度 45.05人/km² 人/km²
Tarazonaの位置(スペイン内)
Tarazona
Tarazona
スペイン内タラソナの位置
Tarazonaの位置(サラゴサ県内)
Tarazona
Tarazona
サラゴサ県内タラソナの位置

北緯41度54分16秒 西経1度43分21秒 / 北緯41.90444度 西経1.72250度 / 41.90444; -1.72250座標: 北緯41度54分16秒 西経1度43分21秒 / 北緯41.90444度 西経1.72250度 / 41.90444; -1.72250

タラソーナTarazona)は、スペインアラゴン州サラゴサ県の都市。タラソーナ司教座が置かれている。

ローマ帝国時代、タラソーナはローマ市民で占められた繁栄した都市であった。その頃の名はトゥリアソ(Turiaso)であった。ローマ帝国衰退後に市は衰え、のちに8世紀初頭にイスラム勢力の支配下に入った。

アラゴン王アルフォンソ1世によるレコンキスタで1119年に解放されると、タラソーナ司教座が置かれた。12世紀初頭にフランス風ゴシック建築タラソーナ大聖堂の建設が始まり、1232年に終了した。

アルフォンソ1世の死後、タラソーナはカスティーリャ王国ナバラ王国、アラゴン王国の間の辺境に位置する町となり、戦略的要所とされた。

中世の間、市の人口を占めていたのはキリスト教徒、ユダヤ人、イスラム教徒が共存する多様な社会であった。イスラム教徒の存在が地元の建築に影響を残した。大聖堂そのものはのちにムデハル様式で再建されている。モリスコが追放された時には、市は危機的状況に陥った。

アラゴン王ペドロ4世とカスティーリャ王ペドロ1世が争ったロス・ドス・ペドロス戦争時代には、市はカスティーリャ軍に9年間占領され、この時期に大聖堂が損傷した。

20世紀、タラソーナはマッチと織物の主要産地であったが、これらの産業は1980年代に別のものに替わった。

外部リンク

座標: 北緯41度54分 西経1度43分 / 北緯41.900度 西経1.717度 / 41.900; -1.717{{#coordinates:}}: 各ページで primary のタグは複数指定できません