ソビエト占領下のポーランドにおける反ユダヤ運動
ソビエト占領下のポーランドにおける反ユダヤ運動とはソビエト軍の侵攻によってドイツ軍がポーランドから撤退した後、1944年から1947年にかけて行われたポーランド人による反ユダヤ運動のこと。
概要
1944年にソビエト軍がドイツ軍をポーランドから駆逐すると、ソビエトはポーランドにイギリス・アメリカが承認しているポーランド亡命政府とは別に共産主義の傀儡政権を樹立した。ソビエト軍と傀儡政権の統治下のポーランドにはソビエト(ポーランド東部はソビエト領となった)などから追放されたポーランド人とともに240,000人のユダヤ人が流入した[1]。流入したユダヤ人のうち136,000人はソビエトからであった[1]。このため、大量に流入したユダヤ人とポーランド人の間に軋轢が生じ、1945年から1947年にかけてポーランド人によって数百人から1500人のユダヤ人が殺害された[3]。1946年7月4日に行われたキェルツェ計画(en)と呼ばれるユダヤ人殺害事件以降はユダヤ人の数は劇的に減少し、1947年の夏までに90,000人となった[4]。
背景には、ポーランド人の間にあった反ユダヤ主義[3]やローマカトリック教会からユダヤ人は共産政権の支持者であるのでポーランドにとって脅威であるとの非難がなされていたことなどがあった[5]。
脚注
- ^ a b c pp248-249 Zimmerm
- ^ Steffen Prauser and Arfon Rees (2004). The Expulsion of the 'German' Communities from Eastern Europe at the End of the Second World War. European University Institute. pp. 4
- ^ a b p248 Zimmerman
- ^ p249 Zimmerman
- ^ Dariusz Libionka, Antisemitism, Anti-Judaism, and the Polish Catholic Clergy during the Second World War, 1939-1945. In: Robert Blobaum, ed. Antisemitism and Its Opponents in Modern Poland. Cornell University Press, 2005.
参考文献
- Joshua D. Zimmerman『Contested memories: Poles and Jews during the Holocaust and its aftermath』Rutgers Univ Pr、2003年。ISBN 0813531586 。