スペイン領ギニア

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スペイン領ギニア
Guinea Española  (スペイン語)
Colony of Fernando Poo
ファン人
:en:Elobey, Annobón and Corisco
1778年 - 1968年 赤道ギニア
スペイン領ギニアの国旗 スペイン領ギニアの国章
スペインの国旗(国章)
国歌: Marcha Real(スペイン語)
国王行進曲(1844年-1873年、1874年-1931年、1942年-1968年)

Himno de Riego(スペイン語)
リエゴ賛歌(1873年-1874年、1931年-1942年)
スペイン領ギニアの位置
スペイン領ギニアの位置
公用語 スペイン語
言語 ファン語
宗教 カトリック
首都 サンタ・イサベル
スペイン君主
1844年 - 1868年 イサベル2世
1936年 - 1968年フランシスコ・フランコ
変遷
Spanish take possession of Fernado Poo. Administered as part of the Viceroyalty of the Río de la Plata 1778年3月11日
Spanish evacuate Fernado Poo1780年
Spanish sovereignty reasserted over Fernando Poo1844年
Protectorate established over Rio Muni1885年
Administrative union of the various colonies1926年
赤道ギニアとして独立1968年10月12日
通貨ペセタ
現在赤道ギニアの旗 赤道ギニア

スペイン領ギニア(スペインりょうギニア)は、かつてアフリカ大陸西岸にあったスペイン植民地である。ギニア湾に面するギニア地域に位置し、1968年赤道ギニアとして、独立した。

概要

1778年のエル・パルド条約において、スペインはギニア地域の領有を認められた。ただし、実効支配地域は広がらず、1900年のパリ条約では、リオ・ムニの領有が確定した。20世紀後半になると、アフリカ諸国の独立運動の影響もあり、1968年に島嶼部と大陸部を合わせて、赤道ギニアとして独立した。