ステファノ・コラントゥオーノ
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名前 | ||||||
カタカナ | ステファノ・コラントゥオーノ | |||||
ラテン文字 | Stefano Colantuono | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1962年10月23日(61歳) | |||||
出身地 | ラツィオ州ローマ県ローマ | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF(CB) | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1981-1983 | ヴェッレトリ | 46 | (2) | |||
1983-1984 | テルナーナ | 16 | (3) | |||
1984-1985 | アレッツォ | 36 | (1) | |||
1985-1986 | ピサ | 24 | (0) | |||
1986-1988 | アヴェッリーノ | 53 | (2) | |||
1988-1989 | コモ | 23 | (1) | |||
1989-1991 | アスコリ | 38 | (0) | |||
1991-1992 | BNLローマ (フットサル) | ? | (?) | |||
1992-1993 | フロジノーネ | 27 | (1) | |||
1992-1994 | フェルマーナ | 28 | (5) | |||
1994-1995 | サンベネデッテーゼ | 25 | (2) | |||
1995-1999 | マチェラテーゼ | 112 | (6) | |||
1999-2000 | セストレーゼ | 34 | (2) | |||
2000-2001 | サンベネデッテーゼ | 31 | (5) | |||
監督歴 | ||||||
2001-2003 | サンベネデッテーゼ | |||||
2003-2004 | カターニア | |||||
2004-2005 | ペルージャ | |||||
2005-2007 | アタランタ | |||||
2007 | パレルモ | |||||
2008 | パレルモ | |||||
2009 | トリノ | |||||
2010 | トリノ | |||||
2010-2015 | アタランタ | |||||
2015- | ウディネーゼ | |||||
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ステファノ・コラントゥオーノ(Stefano Colantuono、1962年10月23日- )は、イタリアの元サッカー選手、サッカー指導者。
経歴
現役時代はDF。中小クラブでセンターバックを主に務め、1991-92シーズンにはフットサルチームでプレーしていた。
引退後に監督業をスタートし、当時ペルージャ(セリエA)とカターニア(セリエB)の会長だったルチアーノ・ガウッチに認められて、2003-2004シーズンにはカターニアの監督を務める。2004年にカターニアはガウッチの手から離れるが、翌2004-2005シーズンにはセリエBに降格したペルージャの監督に就任。セリエA昇格を賭けたプレーオフ進出を果たすもトリノに敗れる。その後、クラブは破産しセリエC1に降格処分となった。余談だが、このシーズンのセリエBはトリノもやはり破産でAへの昇格が取り消されたほか、コラントゥオーノの前任者のセルセ・コズミが率いたジェノアCFCがSSCヴェネツィアへの買収工作の発覚で優勝を取り消されて最下位扱いとなりC1に降格となる混乱ぶりであった。
2005-06シーズンよりセリエBのアタランタ監督に就任し、セリエA昇格に導く。翌シーズンはクリスティアーノ・ドニを中核として健闘し、残留を決める。2007-08シーズンはパレルモのマウリツィオ・ザンパリーニ会長より監督に招聘されたが、成績不振で途中解任(2007年11月)。後任のフランチェスコ・グイドリンが解任される(2008年3月)と呼び戻されたが、翌シーズンはリーグ戦1試合で解任された(2008年9月)。
2009年6月、セリエB降格となったトリノFCの監督に任命された。11月29日、成績不振で解任された。2010年1月10日、マリオ・ベレッタの後任としてトリノ監督に復帰したが、昇格を達成できず退任。
2010-11シーズンはアタランタ監督に復帰し、圧倒的な強さを見せつけ、セリエA昇格に導く。2011-12シーズンは賭博スキャンダル絡みのペナルティーで勝点6減からのスタートとなったが、着実に勝点を積み重ね、チームを残留に導いた。
その後もセリエA残留に成功していたが、2015年3月に成績不振により解任された[1]。
2015年6月4日、ウディネーゼ・カルチョの監督に就任した[2]。
所属クラブ
- ASD VJSヴェッレトリ 1981-1983
- テルナーナ・カルチョ 1983-1984
- ACアレッツォ 1984-1985
- ピサ・カルチョ 1985-1986
- USアヴェッリーノ 1986-1988
- ACコモ 1988-1989
- アスコリ 1989-1991
- BNLローマ (フットサルチーム) 1991-1992
- フロジノーネ 1992-1993
- USフェルマーナ 1993-1994
- サンベネデッテーゼ・カルチョ19231994-1995, 2000-2001
- ACマチェラテーゼ 1995-1999
- FSセストレーゼ 1999-2000
指導歴
- サンベネデッテーゼ・カルチョ1923 2001-2003
- カルチョ・カターニア 2003-2004
- ペルージャ・カルチョ 2004-2005
- アタランタBC 2005-2007
- USチッタ・ディ・パレルモ 2007
- USチッタ・ディ・パレルモ 2008
- トリノFC 2009
- トリノFC 2010
- アタランタBC 2010-2015
- ウディネーゼ・カルチョ 2015-
脚注
- ^ “アタランタ、コラントゥオーノ監督を解任”. Qoly Football Web Magazine (2015年3月5日). 2015年3月6日閲覧。
- ^ “ウディネーゼ、コラントゥオーノ新監督就任を発表”. Goal (2015年6月5日). 2015年6月5日閲覧。