スタシース・ロゾライティス (1898)
スタシース・ロゾライティス(Stasys Lozoraitis、1898年9月5日 - 1983年12月24日)は、リトアニアの外交官、外務大臣(在任:1934年 - 1938年)。息子は同姓同名のスタシース・ロゾライティス。
来歴
1898年9月5日、カウナスに生まれる。その後外交官として活躍し、1934年から1938年までは外務大臣も務めた。1940年、リトアニア共和国がソビエト連邦に占領(バルト諸国占領)されると、ロゾライティスは亡命政府を組織、この亡命政府はリトアニアが独立を回復する1991年まで存続した。本拠地はローマで、ロゾライティスは1940年6月15日から1983年12月24日までこの亡命政府の首班を務めた。
1983年12月24日、ローマで死す。彼の死後、亡命政府首班はスタシース・バチキスに引き継がれた。バチキスは1987年11月15日まで首班を務めたが、その後スタシース・ロゾライティス(息子)に引き継がれ、亡命政府の本拠地もワシントンD.C.に移されている。