スタシース・ロゾライティス (1898)

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スタシース・ロゾライティスStasys Lozoraitis1898年9月5日 - 1983年12月24日)は、リトアニア外交官外務大臣(在任:1934年 - 1938年)。息子は同姓同名のスタシース・ロゾライティス

来歴[編集]

1898年9月5日カウナスに生まれる。その後外交官として活躍し、1923年から1929年まで在ベルリン・リトアニア公使館で勤務。1929年末から1932年まで在バチカン・リトアニア公使館で勤務。1932年9月、リトアニアに帰国。1932年から1934年まで外務省政務局長。1934年から1938年まで外相。1938年にリトアニア政府がポーランドからの最後通牒を受諾すると、ロゾライティスは責任をとり外相を辞任。その後1939年2月から1940年まで駐イタリア公使。

1940年、リトアニアがソビエト連邦に編入(バルト諸国占領)されると、ロゾライティスは在外リトアニア外交部 (LDT) の首班となった。LDTの本拠地はローマで、ロゾライティスは1940年6月15日から1983年12月24日まで首班を務めた。

1983年12月24日ローマで死す。

没後[編集]

彼の死後、LDT首班はスタシース・バチキスに引き継がれた。LDTはリトアニアが独立を回復する1991年まで存続し、それまでバチキスが首班に就いていた。