ジュディス・マクヘイル

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ジュディス・マクヘイル

ジュディス・A・マクヘイル(Judith A. McHale)は、アメリカ合衆国実業家政治家ディスカバリー・コミュニケーションズ社に20年間所属し、同社の発展に寄与。バラク・オバマ政権で国務次官(公共外交・広報担当)

生い立ち[編集]

ニューヨーク州ニューヨークにて誕生。父親は外交官エドワード・マクヘイル[1]。10代の頃は父親に同伴し、イングランドロンドン南アフリカ共和国ヨハネスブルグに居住。南アフリカ在住時は常に警察から監視を受け、盗聴などをされた。家族の友人には拘束され不当な扱いを受けた者もいた。後に彼女は、当時の生活について「アパルトヘイト時代の南アフリカで生活し、人々に苦痛を与える政治体制の残忍さを目撃したことは、その後の私の経歴の選択に影響を与えた」と回顧した。

彼女はその後、イングランドのノッティンガム大学にて政治学の学士号を取得。ニューヨークのフォーダム大学法科大学院で法学修士号を取得。同時期、コロンビア ピクチャーズ社の子部門で営業担当者として勤務。

放送メディア[編集]

1980年代、MTVネットワークスにて総合弁護士を務め、MTVニコロデオンVH1の法律課題について監督。長年の海外生活で培った経験を背景に急速な国際展開をするMTVネットワークスの立役者となった。

1987年、ディスカバリー・コミュニケーションズにて総合弁護士を務め、アメリカの小さなケーブルテレビに過ぎなかった同社の発展に寄与。20年間を過ごし、最高執行責任者、最高経営責任者、そして社長を歴任。世界170カ国、10億人を超える利用者を対象とし、35言語100チャンネルを超える規模へと拡大させた。社長在職中、ディスカバリー・コミュニケーションズは売上を10倍に伸ばし、年間売上高30億ドルにまで発展した[2]

政治[編集]

1998年、メリーランド州知事パリス・グレンデニングの任命により、メリーランド州教育委員会の委員に就任。4年の任期を務めた。

また世界情勢や経済開発に従事する組織に対して指導力を提供。非政府組織アフリケア、非営利団体コロニアル・ウィリアムズバーグ財団、国際支援組織民主党国際研究所、女性支援団体ヴァイタル・ヴォイスなどを支援。2008年民主党全国大会では政治要綱委員会で共同委員長。

2009年、バラク・オバマ大統領より国務次官(公共外交・広報担当)に指名。5月21日の上院での承認を経て、5月26日に着任。

出典[編集]

  1. ^ Judith McHale”. The Paley Center for Media. 2011年1月22日閲覧。
  2. ^ McHale, Judith A.”. U.S. Department of State. 2011年1月22日閲覧。
公職
先代
ジェイムズ・グラスマン
アメリカ合衆国国務次官(公共外交・広報担当)
2009年5月29日 -
次代